新見正興と天保山の意外な関係
この日、新見正興の史跡をめぐりながら、正裕さんはふとこう語りました。
「幕末のあの時期、高祖父の正興は外国奉行として本当に多忙で、大変な日々を過ごしていたと思います。でも、私としては、正興の一代前、新見正路のこともぜひ多くの方に知っていただきたいと思っているんです」
「正興の父親にあたる方ですね」
「はい。実は正路の長男と次男は幼くして他界しており、甥の正興を養子に迎えました。ですから血縁上、正路は伯父にあたります」
「新見正路とは、どのような方だったのですか」
「大阪・関西万博の会場のすぐそばに、天保山という山がありますよね。あれは天保年間に大坂西町奉行だった正路が浚渫工事を行ったとき、河口の底からさらえた土砂を積み上げてできた築山なんです」
「えっ、天保山は、新見さんのご先祖が?」
「そうなんですよ」
22歳まで関西で過ごした私にとって、大阪の天保山はなじみ深い名称です。この港からフェリーに乗ったことも何度もあります。でも、天保山が築かれた経緯、ましてやその大事業に新見さんのご先祖が関わっていたとはまったく知らず、ただただ驚くばかりでした。