もちろん、国際通貨制度とのかかわりを無視して、語られるべきではない。国際通貨制度に関する19世紀は、英ポンドを基軸とした金本位制が徐々に拡張していく時代であったが、米ドルに着目すれば、次のように整理される。

金銀複本位制から金本位制へ

 第一に、19世紀前半の米国は、金貨と銀貨の両方を本位通貨とする金銀複本位制を採用していた。この仕組みは、金貨と銀貨の交換比率が予め固定されているため、どちらかの需給が大きく変化すると維持が難しくなってしまうという欠点がある。

【図】米ドルベースの金価格と銀価格の推移

 図を確認すると、1870年代初頭までは、米ドル建ての金価格と銀価格はまるで固定されているかのように水平に平行線を描いており、両者の関係は安定していた。そのため、米ドルが金銀複本位制を維持するのに大きな支障はなかったのである。

 しかし、1873年には、国際市場で銀塊が暴落し始める。1871年にドイツが金本位制に移行し、銀が売却されたのが端緒になったという説もあるが、銀の分離精製技術の実用化により、銀を容易に入手できるようになったことが最大の理由として挙げられよう。

 図からも、金価格は安定しているものの、銀価格が大幅に下落しているのが確認できる。この動きは、金銀複本位制を採用する国々に飛び火して、多くの国は、堰を切ったように金本位制に移行している。ご多分に漏れず、南北戦争後の1879年に、米国も紙幣と金との兌換を決め、事実上の金本位制へと移行したのである。

 金銀複本位制を採用してきた国々は、金価格と銀価格が大きく乖離してしまったため、あらかじめ決めていた銀価格が、国際市場価格よりも割高になった。そこで多くの人々は、銀を金に交換して、国際市場で金を売却する裁定取引を活発化させた。そのため、金価格と銀価格を固定化する仕組みは、維持困難に陥り、銀の位置づけが低下し、金本位制が世界標準になったのである。