「守破離」は武道・芸道における稽古の思想として知られている(写真:hika_chan/イメージマート)
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 日本の武道・芸道における稽古の思想の1つである「守破離」。聞いたことがあっても具体的にはどのようなものかを知っている人はそう多くないと思う。コスパ・タイパが騒がれ、AI・SNSの隆盛の只中にいる現代人において、およそ500年前の思想がどのように接続してくるのか。『守破離の思想 初心から成就へ』(岩波書店)を上梓した西平直氏に話を聞いた。(聞き手:飯島渉琉)

守破離は「ホップ・ステップ・ジャンプ」ではない

──改めて、西平さんが捉える「守破離」とは何でしょうか。

西平直氏(以下 西平):さしあたり「稽古の三段階」と理解してよいと思います。ただ、三段跳びの「ホップ・ステップ・ジャンプ」のように、一方向へ勢いよく進む構図ではありません。途中で曲がったり、逆方向に進んだり、「自分の思い通りにならないところを大切にする」教えです。

 また、留まっていればいいというわけでもありません。立ち止まった先を手探りするという点が直線的な成長物語と違います。うまくいかないことを「失敗や挫折」として切り捨てるのではなく、「曲がり角」として扱う。「失敗や挫折」を当然のこととして、稽古のプロセスの中に組み入れておくわけです。

 きれいに三段階に分かれるわけではありません。むしろ、大きな守破離の流れの中に、小さな守破離が重層的に入っているイメージです。部分と全体がつながっていて、守・破・離は一つの流れとして、いつもひとつながりになっている。

「破」の中に「守」が影響しており、「離」に到達したらそれで終わりというわけでもない。むしろ、また最初に戻るように、全体がひとつながりに、円環的に流れています。

 守破離は処方箋ではなく、守破離の思想を学んでも稽古は上達しません。長いタイムスパンの中で、「この辺は曲がり角だから注意した方がいいぞ」というチェックポイントを示す教えであると思います。

 なお、この「守破離」という用語法が、思想史的にどの地点で発生したかについては、文献として確定できません。今回、相当調べましたが「確定」には至りませんでした。

 およそ千利休を中心とした茶の湯の世界でゆるやかに使われ始め、弟子に伝える中で「理論化」されたと思われます。守と破は対立し、逆方向へ進む。けれども対立して終わりではなく、それらを包む別の軸へ移り、緊張を保ったまま使いこなす。そうした「論理構造」です。