
(平山 賢一:東京海上アセットマネジメント チーフストラテジスト)
新NISA開始から1年が過ぎたが、なお投資に対する関心の高さは続いているようだ。背景には老後の備えや止まらない物価高への不安もあるのだろう。「貯蓄から投資へ」という掛け声は、資産所得倍増という政策目的の有無にかかわらず、これまでも発せられ続けてきた。
しかし、振り返るとその成果が認められたためしはない。
特に1940年代末の証券民主化運動の際には、株式投資に関する啓蒙活動にもかかわらず、逆に株式投資に伴う危険性を広く認識させる結果になってしまった。政府や金融界が推進する資産運用立国を成功させるためには、このような過去の失敗の事例に学ぶ必要があるだろう。そこで今回は、昭和の証券民主化がなぜ失敗したのかについて探ってみたい。
「日本人=株への拒否反応が強い」は幻想
1947年以降、急上昇する物価の猛威から金融資産を守ろうとする人々は、株式を積極的に購入した。これによって日本の株式市場に占める個人投資家の保有比率は、実に約7割にまで上昇している。個人が、貯蓄から投資へと金融資産を移し替えたのである。
日本人は、昔から株式投資への拒否反応が強く、リスクをとる習慣がないとされてきたが、このイメージは、幻想にすぎないと言えよう。
インフレ率上昇は、目減りするカネをモノに変えてインフレをヘッジする行動を促した。株式は、企業が保有する資産を裏付けとする「換物資産」と位置づけられるようになったからである。
いったん株式の特性が見直されると、その人気が高まり、株価上昇が株価上昇をさらに生む展開になったのである。
政府も、戦時期に株価維持のために購入した株式や財産税の物納として徴収した株式を円滑に売却したいというニーズがあり、証券民主化を推進している。
その運動に即して、証券処理調整協議会(SCLC)は、1947年7月から1951年6月まで、4年間かけて大量の政府保有株式を売却している。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)も、一部の投資家による株式の集中保有を改め、大衆投資家により広く薄く株式が保有されることを支持していた。