本来であれば、大量の株式が政府から放出されるため、株価が下落するはず。しかし、それでも個人投資家が株式に目を向けたのは、その懸念を払しょくするくらいにインフレの猛威が人々の心をつかんで離さなかったからだと考えられる。

 政府も金融界も、多くの個人が株式投資できるように、政策を誘導した。世の中あげての運動を展開したことも貢献したはずである。

 図1は、終戦直後の株価指数(配当込)を場外取引ベースで算出したものだが、1945年8月を100とすると、1947年10月には71まで3割低下したが、東京証券取引所が再開される1949年5月には、503と7倍になっているのが確認されよう。

 証券民主化運動は、表面的には成功したかに見えたが、それも束の間、様相は一転する。

【図1】終戦後の株価推移

暴落に耐え切れず保有株を売却した個人投資家

 株価指数は、1949年に実施されたドッジ・ライン(財政・金融引締政策)の影響で1950年6月にかけて大暴落し、個人投資家は大きな損失を抱えてしまった。半値になった株価下落に耐えきれなくなり、株式を大量に処分せざるを得なくなった。

 というのも証券民主化運動を推進するにあたって政府は、自己資金のみではなく借り入れによる株式投資を推進したため、身の丈を超えた株式投資が行われていたという事情もあったからである。

 たとえば、政府は保有株式を売却するため、1948年に企業の従業員等が自社株を購入する際には、銀行からの融資を優先的に受けられるようにした。株式をより多く購入できるように、仕組みを整備したのである。

 さらに一般個人投資家にも、株式購入資金の半額まで金融機関が融資できるようにしている。インフレに直面した政府が銀行による貸出を抑え込もうとしていた時代に、積極的な融資を促したのは異例と言ってよいだろう。それだけ、政府が大量に抱え込んだ株式を個人投資家に買ってもらいたかったのである。