50年にわたり国家を放漫経営したツケ

 天保8(1837)年に起きた「大塩平八郎の乱」は、まさに社会の不満が鬱積して、爆発したものといえよう。すぐに鎮圧されたものの、元役人が内乱を起こすというインパクトは大きく、幕府の衰退を感じさせるのに十分なものだった。

 だが、政務を水野らの側近に丸投げしている限りは、その責任を問われることもない。家斉の在位は、歴代将軍最長の50年にも及び、将軍職を家慶(いえよし)に譲った後も、大御所として実権を握り続けた。

 国家の将来や庶民の生活を犠牲にしながらも、栄華をむさぼり周囲からも責められない。一方で家斉は朝廷との関係性を大切にしたので、さらにその座は安泰だった。朝廷への気遣いもあってか、在職40年に当たって朝廷の最高職である「太政大臣」の位まで得ている。

 武家で太政大臣となったのは、平清盛や足利義満、豊臣秀吉、徳川家康と徳川秀忠のみ。家斉はその6人目に名を連ねている。

「我が世の春」を謳歌した家斉。長年にわたって国家を放漫経営したツケは、息子の家慶らの世代にのしかかる。

 そうして内政をボロボロにしながら、家斉は67歳で死去。12代将軍の家慶がやっと実権を握ったかと思えば、その翌年に浦賀の港にペリーの黒船が来航する。

 内憂外患の幕末が始まろうとしていた。

【参考文献】
『田沼意次 その虚実』(後藤一朗著、清水書院)
『田沼意次 御不審を蒙ること、身に覚えなし』(藤田覚著、ミネルヴァ書房)
『遊王 徳川家斉』(岡崎守恭著、文春新書)
『島津重豪』(芳即正著、吉川弘文館)
『なにかと人間くさい徳川将軍』(真山知幸著、彩図社)

【真山知幸(まやま・ともゆき)】
著述家、偉人研究家。1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年より独立。偉人や名言の研究を行い、『偉人名言迷言事典』『泣ける日本史』『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたか?』など著作50冊以上。『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は計20万部を突破しベストセラーとなった。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などでの講師活動も行う。徳川慶喜や渋沢栄一をテーマにした連載で「東洋経済オンラインアワード2021」のニューウェーブ賞を受賞。最新刊は『偉人メシ伝』『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』『日本史の13人の怖いお母さん』『文豪が愛した文豪』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方』『「神回答大全」人生のピンチを乗り切る著名人の最強アンサー』など。