154試合制にしたパ・リーグで全試合出場を果たした3選手
一方、NPBは職業野球として創設された1936年から38年は2シーズン制で、試合数は30数試合から56試合と短かった。1939年から1シーズン制となったが、試合数は毎年異なっていた。
1950年にセントラル、パシフィックの2リーグ制になると両リーグは観客動員数などを競うようになるが、劣勢だったパ・リーグは見せかけだけでも観客数を増やすために、1956年、140試合制から154試合制にする。当時パは8球団だったが22試合の総当たり(7×22)にしたのだ。
6球団のセ・リーグは130試合制(5×26)だったが、この年の観客動員はセ・リーグが全390試合で448万6886人、パは616試合で305万340人だった。1試合あたりの観客数では4950人のパが、1万1504人のセにダブルスコア以上の差をつけられ惨敗した。
なお、この年、パ・リーグで全試合出場したのは、高橋ユニオンズの佐々木信也(のちに「プロ野球ニュース」初代キャスターを務め、野球解説者としても知られる)、南海の飯田徳治、杉山光平の3人。この記録は「シーズン最多出場」として公式戦の試合数が増えない限り、公式記録集に載り続けることになる。

セ・リーグは1954年から130試合制となった。パ・リーグも1958年に6球団となり130試合制となった。引き分け再試合があって数試合多いこともあったが、5球団26回総あたりの(5×26)の130試合制が基準となり、20世紀末まで続くことになる。
1997年セ・リーグは27回制の135試合となる。翌年にはパ・リーグもこれに追随。2001年には両リーグとも28回制の140試合になった。
そして2004年の球界再編を経て2005年に「交流戦」が導入されると、試合数はセが146試合、パが136試合となった。2007年には両リーグともに144試合に、そして交流戦が削減された2015年以降は「リーグ戦25回総当たり125試合+交流戦3回総当たり18試合」の143試合となって現在に至っている。
MLBでは、ベーブ・ルースとロジャー・マリスの本塁打が「試合数が違う」ことから大論争となったが、巨人、王貞治が130試合制の1964年に作った「シーズン55本塁打」に、140試合制の2001年の近鉄タフィ・ローズ、2002の西武アレックス・カブレラが並んだとき、さらに144試合制の2013年にウラディミール・バレンティンが60本塁打でこれを抜いた際には、アメリカのような論争はほとんど起こらなかった。