試合数の増加で問題となった「記録の扱い」
ア・リーグが162試合制になった1961年、「試合数」を巡る大論争が起きる。
これまでMLBのシーズン本塁打記録は1927年、ヤンキースのベーブ・ルースが記録した「60本」だった。

1961年、ヤンキースの遥かな後輩にあたるロジャー・マリスが本塁打を量産し、残り29試合となった8月末の段階で51本塁打を打ち、記録更新の期待がかかっていた。ベーブ・ルースの現役時代は154試合制、そしてこの年からア・リーグは162試合制。試合数が異なる時代の記録を同列に置くことができるのか?
メディアは賛否両論を繰り広げたが、MLBコミッショナーのフォード・フリックは、「マリスがチーム154試合目までにルースの60本塁打を抜けなかった場合は、ルースの60本塁打をMLB記録として据え置く」と発表した。
フリックはベーブ・ルースの現役時代、ヤンキースの番記者であり、ルースと親しかった。マリスは、チーム154試合目の時点では59本塁打、そしてシーズン最終の162試合目でルースを抜く61本を記録した。
結局、マリスの記録はコミッショナーの判断で「MLB記録」とはならなかった。しかしシーズン終了後、メディアや球界関係者から抗議の声が上がり、マリスの61本はルースの60本とともにアスタリスク(*=注釈)付きで、併記されることとなった。

この状態が30年続いたが、1991年になって当時のMLBコミッショナーのフェイ・ヴィンセントが「マリスはシーズンで誰よりも多くの本塁打を打った」として、正式にMLB記録に認定。アスタリスクはなくなった。しかしマリスは6年前に死んでいたからこの報を聞くことはなかった。