成功・不成功のコントラストを弱めたい

 以上のように、今日、トランプ政権が全方位的に貿易収支を均衡させようとしているのは、これまでの各経済の得意・不得意に従って分業化するという動きを逆回転させるものだ。そもそも、米国経済が強いデジタルサービスは、貿易収支の話ではなく、サービス収支に入ってくるので、「それは横に置いて」ということになる。

 広範な関税により、国際比較の中では米国が不得意な分野の国内での経済活動が保護され、そのウェイトが拡大することになる。したがって、これまで起こらなかったイノベーションが急に起こるようなことがない限り、米国経済全体の生産性の改善度合いは遅くなる。

 これは、詰まるところ、米国経済の潜在成長率が低下するということだ。それでも、これまで諦めてきた製造業に政府が手を差し伸べることにはなる。

 マクロでみた成長率が低下しても良いから、国民経済における成功・不成功のコントラストを弱めたい——。それが現在トランプ政権の意図していることだとしたら、それはそれで他国が「愚行」といった表現で非難するような話ではないのではないか。

 要するに、これまでの日本のような経済に少し米国を近付けたいということだとしたら、日本としても何を根拠におかしいと反論するのだろうか。

トランプ大統領らとの会談後、手渡された「MAGA」帽子をかぶる赤沢経済再生相(写真提供:Molly Riley/White House/ZUMA Press/アフロ)

自給自足化が可能な国・不可能な国

 ただし、米国と日本が決定的に違うのは、天然資源の賦与や耕作可能な国土の広さである。

 米国のように、エネルギー自給率、食料自給率が高い国は、製造業分野で少し自給自足化が進んで成長率が低下しても、経済全体として困る度合いは、日本に比べかなり低いだろう。

 一般的に言って、天然資源に乏しく、人口も少ない経済にとって、自由貿易の維持は、経済を繫栄させる上で欠かせない。米国のように、すでに繫栄した国と、そこにまで至っていない新興国では事情は違う。

 したがって、米国がモノの生産について自給自足化しようとすることが、よく考えるとあまり非難できないとしても、これまで米国への輸出で経済を発展させてきた国にとっては大問題となる。