歴史は韻を踏む

 これから将来、トランプ政権がずっと続く訳ではない。しかし、トランプ政権的な要素が米国内で支持されるようになったということは、程度は別として今後も変わらないのだろう。米国経済にとってさえ1990年代以降のグローバル化は速過ぎたのかということなのかもしれない。

 近代の歴史を振り返ると、世界の経済は統合と分離の2つの力が、交互に強くなり弱くなりを繰り返している。どれくらいの時間経過が必要かは分からないが、また変化は起こるだろう。それが、歴史が韻を踏むということではないか。

 しかし、それでも世界中の国が自給自足化に舵を切るということはなさそうだ。まだ発展余地のある新興経済が、自由貿易の途を閉ざすということないだろうし、日本のように天然資源の乏しい国は、自由貿易なくしては現在の生活水準でさえ維持できない。

 さらに言えば、日本経済の高度成長は東西冷戦という対立構造の中で実現されたものである。米国が自給自足化へ少し動いたからと言って、全く経済成長できなくなってしまうことにはならないはずだ。

 日本としてできることは、まずは対米交渉において、日本へのダメージができるだけ少なくなるよう努力することだろう。ただ、もし今回の米国の要求に、上述のような、「これまでのつけを返せ」という面があるとすれば、米国の譲歩は限られ、日本には追加的な負担が生まれる。

 そこで日本は、新しい国際秩序の中で、できるだけ広い自由貿易圏を確保し、その中で成長していくという課題に直面する。今回の米国のあり様をみれば、国内の比較劣位分野に配されている経営資源を、いかに円滑に比較優位分野へと移動させるかという点をより意識することが大事だろう。

 さらに、変わらないと思ってきた米国が変わってしまったのであるから、新しい貿易関係を構築していく際にも、どう安定性を担保していくかという点を忘れてはいけないだろう。

 世界の中で、日本と似たような立場にある先進国と言えば、それは欧州しかない。また、地理的な環境を考えれば、アジア・太平洋地域は引き続き日本にとって重要だ。中国という、必ずしも社会の安定に関する価値観を完全に共有できない経済大国が隣国だという点も熟慮しなければならない。

 しかし同時に、これらはみな日本にとっての機会でもある。新鮮な思考で未来に挑戦しなければならなくなったようだ。

著者の新著『「経済大国」から降りる ダイナミズムを取り戻すマクロ安定化政策』(日本経済新聞出版)