高層マンションが乱立する「城砦」へ

1989年の九龍城砦 著者:ジダニ, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 1970年代に入ると反汚職、反麻薬運動が進められた。ヤクザたちは九龍から撤退し、その際に家を売り払った。これを一部の投資家が買い上げて高層ビルに建て替えていき、「あの」九龍城砦の姿へと変わっていったのである。九龍城砦は行政の建築条例の拘束を受けなかったため、巨大かつ自由なビルを建てることができた。だがおのおのが自由に造りすぎた結果、「一度入ったら二度と出ることができない」魔窟と化してしまったのだ。

 こうしてできあがった「要塞」に、多い時は5万人が住んでいた。高さの基準もまちまち、土地の高低差もあり、1階を歩いていたと思ったら別の階にいた、なんてこともザラにあったという。通りに太陽の光はほとんど入らず、天井の無数に引かれた電線がわずかな光も遮った。香港政庁が給水栓を設置したが建物内には1箇所しかなく、住民たちは水を汲むために列をなした。

 城砦は住居だけでなく様々な店が軒を連ねていた。香港で消費される魚団子と肉団子はほぼ九龍城砦で作られていて、一流ホテルにも卸されていたともいわれている。

 また、九龍城砦といえば町医者の看板の写真をよく見かけるのではないだろうか。歯医者を筆頭に多くの医者がいたが、彼らは中国準拠の教育を受けた者たちで、香港政庁下では医師免許を取得することができなかった。ゆえに九龍城砦に集ったというわけだ。
 

 このような混沌の中にも独自の秩序があった。2回目でも軽く触れたが、城砦の中心部には学校も老人ホームも青年ホームもあった。このあたりは城砦時代の面影を残した地区であり、建物も低く、唯一光が差し込む場所でもあった。住民たちが集まる憩いの場であったのだ。