「城砦」としての起源
香港及び九龍地区は宋時代は農民や漁民が中心に生活する地域だった。明の時代(1368〜1644)に広東省と福建省から開拓者が移住し、香港全域に広く分布していったという。九龍地区は倭寇の防備にも当たっていたとされており、古くから国内外問わず海賊からの防衛拠点として機能していたようだ。清の文献には明代の防備について触れており、そこに「九龍村」という名称が記録されている。
九龍城砦が「城砦」として機能するようになったのは清の時代、1660年代頃で、1661年から1664年にかけて、遷界令(※)が実施された。九龍村の住民たちは強制移住をさせられ、村があった場所には兵が駐留し、のろし台が設置された。これが九龍城砦の原型となった。
※ 遷界令…清が取った鄭成功(ていせいこう)勢力を封じるための政策。沿海住民を強制的に内陸に移住させ、鄭の勢力を孤立させた。九龍村もこの地区に該当する。
九龍城砦は九龍湾を一望できる位置にあることから、重要な軍事拠点として機能していった。19世紀初めには張保仔(チョンボウジャイ)という海賊が猛威を振るった。張保仔は最盛期には配下数千人を抱えた当代きっての大海賊だ。ちなみに現在も長洲島に張保仔の隠れ家と伝わる「張保仔洞」が、南丫(ラマ)島には張保仔道が残されている。

張保仔が香港周辺の海域で活動し始めたのをきっかけに九龍地区の軍備が進められることとなった。この対策に当たったのが百齢(ひゃくれい)という両総督(広東省・広西省の総督)だ。百齢は張保仔問題を解決したのち、九龍村に砲台を造り、城砦として整備していった。このように軍事施設として整備されていく中で、やがて九龍砲台は歴史的な大敗を喫する「アヘン戦争」の渦中へと巻き込まれていくのである。
参考文献
九龍城寨の歴史 魯金著 倉田明子訳 みすず書房
香港の歴史 ジョン・M・キャロル著 倉田明子、倉田徹訳 明石書店
最期の九龍城砦 中村晋太郎 新風舎
大図解九龍城 九龍城探検隊 岩波書店
日本占領下の香港 関 礼雄著 林 道生訳 御茶の水書房
香港追憶 長野重一 蒼穹舎