伝説のスラム街「九龍城砦」、かつて2.7haに5万人も住んでいた“魔窟”がカオス化した理由
1970年頃の九龍城砦 写真:GRANGER.COM/アフロ
(画像1/4)
啓徳空港と九龍城砦 ドイツ語: Konstantin von Wedelstaedt (GFDL 1.2 or GFDL 1.2), via Wikimedia Commons
(画像2/4)
1993年の九龍城砦の通路  イアン・ランボット, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons
(画像3/4)
張保仔
(画像4/4)
伝説のスラム街「九龍城砦」、かつて2.7haに5万人も住んでいた“魔窟”がカオス化した理由
この写真の記事を読む

連載の次の記事

「九龍城砦」とアヘン戦争、九龍砲台の活躍も及ばず敗戦…イギリスの香港占拠により城塞が完成した経緯

今、注目される「九龍城砦」の歴史
1 2 3 4
関連記事
カワイイが過ぎる!韓国が愛したパンダ、「じいじ」との再会で見せた奇跡の表情:映画『私の親愛なるフーバオ』 なぜ私たちは映画「PERFECT DAYS」の役所広司に共感するのか? 岡倉天心『茶の本』に学ぶ日本文化の神髄 こんなにも面白い江戸城の5つの櫓、富士見櫓、富士見多聞櫓、巽櫓、伏見二重櫓、続多聞櫓の見所を徹底紹介 意外に柔軟だった江戸幕府の権力機構、紀州藩足軽の家に生まれた田沼意次が老中にまで出世できた理由 漆黒の天守以外にも魅力満載の岡山城、宇喜多秀家が築城、近世大名家と城との複雑な関係を反映した一番の見所は? 日本の城に桜の樹が植えられている理由…城本来の美しさを堪能するために本当に必要なもの 実は「将軍」として一度も江戸城に入ったことがない徳川慶喜、最後の将軍と江戸城の数奇な運命と結末 徳川家康の居城は「江戸城」ではなかった?徳川政権が「江戸幕府」になった経緯と本当の居城 紀州徳川家の城として知られる和歌山城、原型を築いた豊臣秀吉の名残と、浅野、徳川の変遷が見られる稀有な城 江戸幕府の老中はなぜ譜代大名が独占するのか?近代的な政府や会社組織とは全く違う「幕府」の基本原理 日本最大の大きさ、出入り口の多さ…実は城として異常な江戸城の「本丸」その理由 皇居はなぜ江戸城の「本丸」にないのか?江戸末期に起きたやんごとなき事情

本日の新着

一覧
高市自民と維新が仕掛ける“対公明リベンジ”、議員定数削減で狙う大打撃、「第三極」の旗降ろす維新は消滅の道へ?
[2025年を振り返る]自民と連立した政党は軒並み消滅、大政局を切り抜ける自民に対し公明・維新の運命は?【JBpressセレクション】
渡辺 喜美
EUのEVシフトに公然と反旗を翻したドイツ、凋落するフォルクスワーゲンやメルセデスベンツを前に現実路線に回帰
2025年を振り返る【土田陽介のユーラシアモニター】2035年までに新車からICE(内燃機関車)を排除する方針は見直さざるを得ないか【JBpressセレクション】
土田 陽介
歩けばわかる、強大で広大な江戸城の「外郭」が最強である理由、総延長14キロ、今も外郭が守るものとは?
西股 総生
【関ヶ原の合戦の真実】石田三成は総大将ではなく、小早川秀秋は合戦前から東軍派、家康にも天下取りの野心はゼロ?
【著者が語る】『シン・関ケ原』の高橋陽介が一次史料から読み解く、関ヶ原の合戦の本当の姿
関 瑶子 | 高橋 陽介
フォロー機能について

フォロー機能とは、指定した著者の新着記事の通知を受け取れる機能です。
フォローした著者の新着記事があるとヘッダー(ページ上部)のフォロー記事アイコンに赤丸で通知されます。
フォローした著者の一覧はマイページで確認できます。
※フォロー機能は無料会員と有料会員の方のみ使用可能な機能です。


設定方法

記事ページのタイトル下にある「フォローする」アイコンをクリックするとその記事の著者をフォローできます。


確認方法

フォロー中の著者を確認したい場合、ヘッダーのマイページアイコンからマイページを開くことで確認できます。


解除方法

フォローを解除する際は、マイページのフォロー中の著者一覧から「フォロー中」アイコンをクリック、
または解除したい著者の記事を開き、タイトル下にある「フォロー中」アイコンをクリックすることで解除できます。