北尾重政「芸者と箱屋」 1777年 アメリカ議会図書館蔵
(鷹橋忍:ライター)
大河ドラマ『べらぼう』第10回「『青楼美人』の見る夢は」では、蔦屋重三郎が当時を代表する二人の絵師・橋本淳が演じる北尾重政と前野朋哉が演じる勝川春章が、吉原の遊女を描いた俳諧絵本『青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』を出版した。今回は二人の絵師のうち、北尾重政を取り上げたい。
独学で画才を伸ばす
北尾重政は、近世以後の知名度、および人気はそれほど高くないが、当時の江戸では最も人気、評判が高かった絵師である(鈴木俊幸『本の江戸文化講義 蔦屋重三郎と本屋の時代』)。
「北尾」は画姓で、本姓は「北畠」とされるが、「中村」とする説もある(林美一『林美一 江戸艶本集成・第四巻 北尾重政』)。
北尾重政は、元文4年(1739)に生まれた。時の将軍は八代・徳川吉宗である。
寛延3年(1750)生まれの蔦屋重三郎より、11歳年上となる。
重政は、江戸・小伝馬町一丁目で書肆(版元)を営む須原屋三郎兵衛の長男だ。
父・須原屋三郎兵衛は、江戸の代表的な書物問屋で江戸一の大書商と称される須原屋茂兵衛(すはらやもへえ)の使用人であったが、暖簾分けが許され、開業したとされる。
なお、里見浩太朗が演じる須原屋市兵衛(すわらやいちべえ)は、須原屋茂兵衛の分家である。
父の職業柄、重政の周りには、幼い頃から絵本や版画が身近に存在した。
重政は書画を好み、絵師の門を叩くことなく、独学で画才を伸ばしていったとされる。
弟に家業を譲り、錦絵の名手へ
重政は、宝暦(1751~1764)の末年には作画生活に入っていたとされるが(楢崎宗重編『浮世絵大系3 春章』)、絵師として、本格的に制作を手がけるようになったのは、明和2年(1765)、27歳の頃から。また、重政が家業の書肆を弟に譲り、大伝馬町三丁目の扇子屋「井筒屋」の裏に移ったのも、この頃ではないかとみられている(林美一『林美一 江戸艶本集成・第四巻 北尾重政』)。
重政は、役者絵、美人画、浮絵、武者絵など、多様な作品を描き、浮世絵界の権威者となった。
錦絵(フルカラー印刷の浮世絵)が誕生すると、数こそ多くないが、『芸者と箱屋』など名品を世に送り出している。
桐谷健太が演じる大田南畝(おおたなんぽ)が著した『浮世絵考証』には、「重政は近来錦絵の名手なり」と記されている。
だが、重政が画業の中心としたのは、版本の挿絵だった。
