重政と蔦重

北尾重政画『一目千本』「華すまひ序」より 安永3年(1774)7月刊 大阪大学附属図書館、忍頂寺文庫 版元:蔦屋重三郎 出典:国書データベース

 ドラマでも描かれたように、蔦重は安永3年(1774)7月、版元として最初の出版物となる遊女評判記『一目千本』を刊行しているが、この時、挿絵を担当したのが、重政である。

 刊行時、蔦重は25歳、重政は36歳になっていた。

 蔦重は、吉原の遊女を挿し花に見立てて紹介したこの『一目千本』の版木を利用して、『手毎の清水』と称する華道の本に仕立て、安永6年(1777)に刊行している。

 それが可能だったのは、挿絵の花が写実的で、美しかったからだろう(佐藤至子『蔦屋重三郎の時代 狂歌・戯作・浮世絵の12人』)。

 重政は絵本や黄表紙の挿絵など、蔦重の仕事を数多く請け負っているが、その代表作は、ドラマにも登場した、勝川春章との合作『青楼美人合姿鏡』である。

 蔦重の出版界での大躍進を支えたのは、作家は尾美としのりが演じる平沢常富(朋誠堂喜三二)、絵師は重政だったという(松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』)。

マルチなクリエイター

 画才に優れるのみならず、重政は書道も得意とし、筆耕(文字書き)の仕事もしている。

 曲亭馬琴の随筆『著作堂雑記抄』(国書刊行会『曲亭遺稿』所収)には、重政は16歳の時から、江戸暦の板下を書くこと60余年。享和年間(1801~1804)の2年の中断を除いて、今の江戸暦に至るまで、すべて重政が筆耕した。高齢にもかかわらず、細字を巧みに書き、人は皆、これを珍しいこととしたと記されている(現代語訳、佐藤至子『蔦屋重三郎の時代 狂歌・戯作・浮世絵の12人』参照)。

 俳諧にも通じており、大坂の商家出身で江戸に下って活躍した俳人の谷素外(たにそがい)に師事し、花藍(からん)の俳名をもつ。

 門弟の指導にも長けていたのか、津山藩の御用絵師となる北尾政美(鍬形蕙斎)、古川雄大が演じる戯作者の北尾政演(山東京伝)、肉筆画の名手として知られる窪俊満など、優れた人材を輩出し、文政3年(1820)1月24日、82歳で没した。