道義さんから与えてもらった現場
このコンクール、私はどちらかというとマエストロ・バーンスタインの元に留学して学べなくなったうっぷん晴らしの面が強かった。
双従兄の指揮者・作曲家、外山雄三からも音楽家の20代は修行が大事と聞いていたので、思い切って私は道義さんに「指揮を勉強したいので、現場経験を積ませてもらえませんか?」と頼み、幸い快諾してくれました。
また、ありがたいことに私の作品を演奏してくれた新日フィルも好感触で・・・というか、より正確には当時のパーサネル・マネジャー、元チェロの國枝純一さんのご高配で、学歴の全くない私が客演鍵盤奏者・・・ピアノ、チェレスタ、その他鍵盤楽器全般・・・として、以後2、3年、主に現代曲の初演で新日フィルの舞台に呼んでいただけることになったのです。
ここで学んだことは語り尽くせません。
武満徹の日本初演作品をはじめ、夏休み、子供のための演奏会などまで、私のプロオケ生活の第一歩は、人物本位・縁コネ無用という道義さんの開明的な新日フィル運営姿勢がなければ、決して踏み出すことはできなかったと思います。
慶應義塾大学出身の故・鈴木隆太さん、玉川の演劇出身ながら、卓越したヴィルトゥオーゾである白石准さんなど当時の新日フィル・ピアノパートはユニークな才能を持つ多士済々で、その仲間に入れていただき、圧倒的なオーラを放つハープの木村茉莉さんや、すぐ斜め上で、総入れ歯ごと楽器を揺らしてビブラートをかけるホルンの伝説的な巨匠、千葉馨氏などの傍らでピアノやチェレスタを弾けたことは、正味で私の生涯の宝物です。
この後、帰国してきた大野和士さんと知り合い、東京フィルハーモニー交響楽団で勉強させていただけた最初のきっかけも、道義さんを中心にデニーズでご飯を食べていた時のことでした。
決して器用ではない私ですが、与えられたものには全力で取り組みましたので、そのうち東京都交響楽団(P.ブーレーズ「プリ・スロン・プリ」日本初演の)コレペティタ=声楽伴奏ピアニストなど、少しずつ仕事も広がりました。
3年後、その都響が演奏する国際管弦楽作曲コンクールで、私は再び道義さんの棒で作品を演奏してもらうめぐり合わせとなりました。
ハンガリーの作曲家ジェルジ・リゲティを筆頭に三善晃、一柳慧、湯浅譲二といった審査員メンバーの中に演奏された道義さんも加わられ、演奏では当然、すべての楽曲でベストを尽くされ、
ここでプルミエ・プリをもらったことで、作曲に関する私の軌道を定めることができた。
私の前半生、大切な要所要所で道義さんに支えていただいて、今に至っているのは紛れもない事実です。
一般の目にどう映るか分かりませんが、井上道義と言う人は極めて「情に篤い」人間性の持ち主です。