「インドシフト」に不安も

 時代を振り返ると、1980年代、当時の日本ビジネス界にとって未知の領域だったインド政府から国民車事業の相談を受け、修氏がインド参入を決断して以来、スズキとインド政府、そしてインドの消費者との強い絆がこれまで維持されている。

新中期経営計画の発表会場に展示された、スズキ初の量産型EV「e VITARA」(写真:筆者撮影)

 だが、近年はインド国内での競争が厳しくなっているほか、自家用車を購入できる所得がある約4億人と、そこまで手が届かない約10億人との間にクルマに対する意識のギャップが広がっていると、スズキは分析している。

 そのため、今後さらなる成長が見込まれるインドでは、他の国や地域でも商品競争力があるエントリーモデルの開発を強化するという。

 見方を変えると、こうしたインド中心の四輪事業シフトの加速は、仮にインドでの政治的な混乱などが起こった場合の、スズキにとってのカントリーリスクがさらに高まることになる。

 スズキとして当然、リスク回避のためのプランBを常に考えながら動くとしても、インド頼みの四輪事業に不安を感じる日本の消費者は少なくないだろう。

 その日本だが、今後もスズキグループのマザー生産拠点として、生産技術やノウハウでスズキグループの手本であり続けるという。

 ただし、近年ではインドからの「フロンクス」が日本国内で販売好調であるなど、鈴木社長は「日本で販売する商品の生産場所はグローバルで見て最適な工場とする」と、インドから日本への輸出増加を示唆した。

 直近で、インドからの日本への輸出車として話題沸騰なのが、「ジムニー ノマド」だ。