
「日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさん」。トヨタ自動車会長の豊田章男氏にここまで言わせたのが、昨年(2024年)末に94歳で亡くなった鈴木修(すずき・おさむ)氏だ。スズキ社長・会長として実に40年にわたり経営の第一線に立ち続け、スズキを大きく成長させた。にもかかわらず自らを「中小企業のおやじ」と言い続けた。その生きざまとは──。
自動車業界で突出していた親しみやすさ
修ちゃんが亡くなった。昨年暮れのクリスマス、12月25日のことだった。
「日本の自動車業界を代表する経営者」と聞かれたら、圧倒的多数の人がトヨタ自動車会長の豊田章男氏の名を挙げるはずだ。世界最大の生産台数・販売台数を誇る企業のトップでもあり、電動化や自動運転化など自動車業界「100年に一度の変革期」を誰よりも憂えると同時に備えている経営者だ。
少し時代をさかのぼれば、カルロス・ゴーン氏の名前を挙げる人も多かったに違いない。倒産寸前の日産自動車にルノーから派遣され、瞬く間にV字回復を果たした。しがらみにまったく左右されない合理性と判断力、さらには行動力。日産のあるべき姿を公約に掲げ、実現できなければ退陣するという退路を断ったコミットメント経営など、それまで日本にはいないタイプのプロ経営者だった。
本稿の主人公、鈴木修・スズキ前会長(以下、修氏)は、前記2人とは全く違う。一般的な知名度がそれほど高いわけではない。しかし自動車業界関係者、とりわけ自動車関連のジャーナリストや取材者の間では圧倒的人気を誇った。冒頭に「修ちゃん」と書いたのもその一つ。この言葉だけで誰のことだか業界関係者は理解したほどで、その親しみやすさは自動車業界では突出していた。