戦後の日本が復興する上で、血液たる資金を提供した銀行の果たした役割は大きい。中でも日本興業銀行は、その名の通り日本に「業」を「興」し続けてきた。その興銀にあって「ミスター」と呼ばれたのが中山素平氏(1906年─2005年)である。日本の高度成長を陰で支えた裏方だった。
年を重ねても財界で影響力を持ち続けた「そっぺいさん」
「中山素平」と書いて「なかやまそへい」と読む。しかし誰もが「そへい」ではなく「そっぺい」と読んだ。もちろん面と向かって「そっぺい」と呼ぶ人は親しい人に限られた。しかし本人がいない場所で話題にする時は、ほぼ全員が「なかやまさん」でも「そへいさん」でもなく「そっぺいさん」だった。そして中山氏にはもう一つの名前があった。「財界の鞍馬天狗」である。
中山氏は1906(明治39)年生まれ。一橋大学を卒業後、日本興業銀行(その後、富士銀行、第一勧業銀行と経営統合し、みずほフィナンシャルグループ)に入行。頭取を7年、会長を2年務めた。
筆者が経済誌の世界に入ったのは36年前のこと。中山氏が頭取を退いてから20年がたっており、当時の肩書は興銀の特別顧問。銀行のみならずどんな企業であっても、創業者でもないかぎり社長を降りて20年もたてば影響力はなくなるもの。ところが中山氏は違った。筆者もいろんな場面でその名を耳にした。
例えばWOWOW中興の祖である佐久間曻二氏の場合もそうだった。