![](https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/f/2/1200mw/img_f2876df71511b3e649ecad682a87f6a831063.jpg)
ソニーグループの業績が好調だ。売上高は3期連続で過去最高を記録、営業利益も1兆円の大台に乗せた。しかも利益率は10%台と、日本でエレクトロニクス製品を取り扱う企業としては極めて高い。それを可能にしたのが、エレキとエンターテインメントという2つの事業を並行して展開する両輪経営に成功したことだ。創業者の盛田昭夫氏は、1960年代からこの両輪経営を推し進めてきた。なぜ盛田氏は世界に例のない企業グループを目指し、実現させることができたのか。
<ラインナップ>
【前編】盛田昭夫はいかにして無名だったソニーを「世界のSONY」に成長させたのか
【後編】盛田昭夫が夢見たソニー流「エレキとエンタの両輪経営」はこうして実現した(今回)
<著者フォロー機能のご案内>
●無料会員に登録すれば、本記事の下部にある著者プロフィール欄から著者をフォローできます。
●フォローした著者の記事は、マイページから簡単に確認できるようになります。
●会員登録(無料)はこちらから
てすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすと
- 「社会が必要とするものを全てやる」セコム創業者の飯田亮が前のめりで描き続けた企業のグランドデザイン
- 日本初の警備会社・セコムをつくった飯田亮、貫いた「破壊と創造」の経営哲学
- 天国から地獄へ、リクルート事件で全てを失った江副浩正の「晩節」
- 「最も成功した東大出身起業家」、リクルート江副浩正が時代の寵児になるまで
- ヤマト運輸元社長・小倉昌男が採算の合わない「宅急便事業」に挑戦したワケ
- 盛田昭夫はいかにして無名だったソニーを「世界のSONY」に成長させたのか
- 「舌禍事件」でピンチ招いたサントリー、佐治敬三はどう経営を立て直したのか
- 中内功が築き上げた日本有数の巨大企業グループ、ダイエーはなぜ転落したのか
- ウイスキーを大衆化させたサントリー、佐治敬三の卓越したマーケティング力
- 孫正義も師と仰いだ日本マクドナルド創業者、藤田田の先見力はなぜ陰ったのか
- ハンバーガーを国民食にした日本マクドナルド創業者・藤田田の商魂たくましさ
- 中内功が築き上げた日本有数の巨大企業グループ、ダイエーはなぜ転落したのか
- 松下幸之助をはねつけてまで貫いたダイエー創業者・中内功の「安売りの哲学」
- 「宅急便」の生みの親、小倉昌男はケンカも辞さない江戸っ子経営者だった
- ヤマト運輸元社長・小倉昌男が採算の合わない「宅急便事業」に挑戦したワケ
- 盛田昭夫が夢見たソニー流「エレキとエンタの両輪経営」はこうして実現した
- 盛田昭夫はいかにして無名だったソニーを「世界のSONY」に成長させたのか
フォローしたコンテンツは、マイページから簡単に確認できるようになります。
ソニーグループの最大の強みは「事業領域の多様性」
ソニーグループは世界で唯一の会社である。それは決算書のセグメント情報を見ればすぐわかる。前3月決算の場合なら、次のように書かれている。
●ゲーム&ネットワークサービス/売上高3兆6446億円、営業利益2500億円
●音楽/売上高1兆3806億円、営業利益2631億円
●映画/売上高1兆3694億円、営業利益1193億円
●エンターテインメント・テクノロジー&サービス(ET&S)/売上高2兆4760億円、営業利益1795億円
●イメージング&センシング・ソリューション(I&SS)/売上高1兆4022億円、営業利益2122億円
●金融/売上高1兆4545億円、営業利益2239億円
ET&Sはテレビや音響機器などソニーの祖業ともいうべき製品群で、I&SSはイメージセンサーなどの半導体部品が主たる製品だ。
ソニーG全体の売上高は11兆5398億円だが、6つの事業領域で売り上げが1兆円を超え、それぞれ営業利益は1000億円超だ。この多様性がソニーGの最大の強みとなっている。そしてエレキ部門とゲームや音楽・映画部門のエンターテインメント部門を傘下に抱え、それぞれ収益を上げている会社は、世界広しといえどソニーG以外に存在しない。
なぜソニーGのみがエレキとエンタを両立できたのか。そもそもなぜ音響機器からスタートしたソニーGがエンタに進出したのか──。その背景には、前回触れた、ソニーを世界的企業に育てた創業者・盛田昭夫氏の存在がある。
ソニー製品を米国に販売するため、盛田氏は1963年に家族ともども米国に移住する。滞在1年半の間に多くの政財界人と面談を重ね、ソニーと自分自身を売り込んでいった。その結果、盛田氏は米国でもっとも知られる日本人経営者となった。
![](https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/b/6/1200mw/img_b65fa657867e404c8575ed2918e6814e40500.jpg)