3月10日に亡くなったセブン&アイホールディングス名誉会長の伊藤雅俊氏(1992年当時/写真:Fujifotos/アフロ)

持たない経営を貫いた伊藤氏、自前主義にこだわった中内氏

「お客さまは来て下さらないもの、お取引先は売って下さらないもの、銀行は貸して下さらないもの」

 これが3月10日、老衰で98歳の生涯を閉じたイトーヨーカ堂創業者で、同社の持ち株会社セブン&アイ・ホールディングスの名誉会長、伊藤雅俊氏の口癖だった。

 黙っていては客は来ない。ではどうするか。伊藤氏はその答えは「信頼」しかないと考えた。客が店を信頼してくれて初めて来店し、商品を買ってくれる。取引先が商品を卸してくれるのも、銀行が融資してくれるのも、会社や店、そして経営者や社員への信頼があってこそ。それを徹底したからこそ、東京の下町でわずか2坪の店から始まったヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)を、日本を代表する流通チェーンにまで成長させることができたのだ。

1992年当時の伊藤氏(写真:Fujifotos/アフロ)

 2歳年上で、ともに日本のチェーンストア業界を牽引したダイエー創業者の中内功氏と比較すると、伊藤氏がいかに相手を信頼し、そして信頼を得るために努力してきたかがよくわかる。

 中内氏の場合、苛烈な戦争体験が影響したこともあり、非常に猜疑心の強い経営者だった。だからこそ、他人を容易に信用することがなく、自前主義にこだわった。出店するにしても、まず店舗で使う倍ほどの土地を抑える。ダイエーができることによって、周辺の土地価格が上がると、半分の土地を売って次の投資に回すというように、自前主義だからこそできる錬金術によってダイエーは成長していった。

 一方の伊藤氏は持たない経営。出店するにしてもテナントとして入居、自ら不動産は所有しようとしなかった。今でこそ「アセットライト」という言葉は一般的になっているが、伊藤氏は地価は下がらないという「土地神話」のあった時代からアセットライトを実践。そのためバブル崩壊によっても大きく傷つくことはなかった。