セブン&アイの「精神的支柱」であり続けた伊藤氏

 そして何より、人との信頼関係を大切にしたのが伊藤氏だった。

 伊藤氏が亡くなったことを報じる記事の中には、「鈴木敏文氏を見出したのが最大の功績」と書いたものがあった。鈴木氏とは書籍取次のトーハンからイトーヨーカ堂へ転じ、セブン-イレブンを立ち上げた日本コンビニ界の父であり、7年前までセブン&アイに君臨していた実力者だ。

 多くの創業者が、自分の立場を危うくするような社員の存在を許さない。現に中内氏にも下に優秀な社員はいたが、中内氏が台頭を許さなかったため、いずれも中内氏から離れていき、最後は息子にバトンを渡すことで自壊への道を進んでいった。

 その点、伊藤氏は鈴木氏を全面的に信頼した。特に1992年に総会屋事件の責任を取ってイトーヨーカ堂社長の座を鈴木氏に譲ってからは、鈴木氏に全権を渡し、後方から支援し続けた。

 日本企業史には、ソニーの井深大氏と盛田昭夫氏、ホンダの本田宗一郎氏と藤沢武夫氏などの名コンビ経営者がいる。しかしソニーもホンダも、創業者である井深氏および本田氏の夢を実現するために盛田氏と藤沢氏が経営を差配したが、伊藤氏は創業者でありながら、鈴木氏の夢のサポートに回った。

 ここに一度信頼した人間を信頼し続ける伊藤氏の人生哲学をみることができる。つまり、伊藤氏の最大の功績は、鈴木氏を見出したことではなく、見出した上で信頼し、全権を委ねることができた懐の深さにあると言っていい。

 もちろん2人の間で意見が食い違うこともあった。そんな時でも伊藤氏は、「お客さまにとってどうか」を判断基準として、意見をすり合わせていった。決して自分が創業者だからという理由で、鈴木氏の行動に反対することはなかった。

 こうして社業のほぼすべてを鈴木氏に任せたことによって、セブン&アイは、伊藤氏の会社から鈴木氏の会社へと変わっていった。しかしそれでも、伊藤氏はセブン&アイの精神的支柱であり続けた。