正反対の「日枝イズム」
さて、このような「ブッカー任せ」「現場はプロダクションとタレント任せ」といった体質と、少なくともかつて黄金期の日枝久さんの「フジテレビ改革」は、正反対のものだった点を指摘しておきたいと思います。
フジでは現在も、日枝氏が上司の羽佐間重彰氏らとともに、創業家に入り婿で入った元銀行マンで形だけのトップだった「鹿内宏明氏」を追放した「クーデター」への言及は「タブー」になっているようです。
私個人は、直前に急逝した「鹿内宏明」氏の義兄、創業家長男の「鹿内春雄氏(1945-88)」の抜擢で編成局長に就任(1980)した日枝氏が、「春雄+日枝」コンビで創り出したフジ黄金期の印象の方がはるかに強いのです。
「鹿内春雄+日枝久」が現場を牽引した時期に開始された番組を列挙してみましょう。
『オレたちひょうきん族』(1981~89年)
『なるほど!ザ・ワールド』(1981~96年)
『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1982~2014年)
『おはよう!ナイスデイ』(1982~99年)
『FNNスーパータイム』(1984~97年)
『ライオンのいただきます』(1984~90年)
『夕やけニャンニャン』(1985~87年)
『所さんのただものではない!』(1985~91年)
『FNNモーニングコール』(1986~90年)
『タイム3』(1988~93年)などなど。
この当時のフジのスローガン「楽しくなければテレビじゃない」を、かなり曲解して中居クンなどに当てはめる記事を目にしましたが、それは違っています。
これらの番組には局員・局プロデューサーが深く番組作りに携わり、実際に楽しさを創り出し視聴率を取っていった。
ここではその代表格というべき横澤彪(よこざわたけし)プロデューサーと、彼が担当したり、多くは創り出したフジの名番組群を列挙しておきましょう。
スター千一夜(1959~81年)
ママとあそぼう!ピンポンパン(1966~82年)
THE MANZAI(1980~82年)
笑ってる場合ですよ!(1980~82年)
らくごin六本木(1981~85年)
森田一義アワー 笑っていいとも!(1982ー2014年)
オレたちひょうきん族(1981~89年)
ライオンのいただきます(1984~90年)
平成教育テレビ(1992~93年)
この横澤彪プロデューサーが定年前にフジを退職したのが、奇しくも「IT革命」でインターネットが一般に広く使われ始めた1995年。
フジの黄金期を作り出したトップが横澤さんと同年の「日枝久」氏で、日枝氏が現場にコミットし得たのも、取締役編成局長などを務めた1983~88年頃までのこと。
1988年には代表取締役社長、2001年には会長職に退き、2003年には民放連会長、フジサンケイグループ代表・・・と、ネットがブロードバンド化し、テレビが退潮期に入る2000年代には、政財界を睥睨する放送界のドンになっていました。
一方、番組制作現場のモラール低下などと、日枝さんクラスの経営陣とは、ほとんど関係がありません。
というか、いまの現役が関係を持ちたがる「大物芸能人」を、
「
私が本稿で危惧するのは、日本のマスメディアがガバナンス不能を理由に、外資の影響下に置かれ、いつのまにか多国籍資本の草刈り場になること、これに尽きます。
日枝体制に「上意下達が徹底」し、口答えできない空気を作ったといった批判は「社員向け説明会」の報道で目にしました。
日枝体制では「上意下達が徹底」し、およそ下が口答えできない空気を作ったといった批判は「社員向け説明会」の報道で目にしました。
何も「日枝天皇」体制を擁護したいとか、そういうつもりは毛頭なく、様々な面で改善は大いになされるべきでしょう。
しかし、日本のマスメディアが自浄能力を欠くために、結果的に多国籍資本がコントロールする「お茶の間に入り込んだネオンサイン」広告塔のような体たらくに堕するのは、避けるべき事態です。
かつて村上ファンドやライブドアが敵対的買収を仕掛けた際、もっともしたたかにこれらを排撃した「超やり手の日枝氏」が、直接的には別の話である「中居クン」が契機となって批判される、その震源地が「米資本」というのは、なんとも嫌なものを感じざるを得ません。
個人的には、本連載で繰り返し強調しているように、ユーチューブなどのネット音声動画が「放送法・電波法」のシバリと無関係に、「デマしか流さない」現状。
それが高じてSNS選挙による愚政の末期症状を呈しているわけです。
むしろプロの放送人にはメディアの良心を担ってもらわねばならないと強く感じています。
インターネットのブロードバンド化から四半世紀。日本のメディア人には、本当にしっかりしてもらわねばなりません。