何をコメントしていただいても結構です!
大学に移っても、完全に放送メディアと縁が切れたわけではありませんでした。
実際、フジテレビでもニュース・バラエティのコメンテーターを務めていた時期があります。
問題ないと思いますので具体的に記すと、「サキヨミ」 「Mr.サンデー」などの番組に呼んでもらっていました。伊藤利尋アナウンサーが司会を務めていた時期のことです。
私は「オウム真理教事件」ならびに「オウム法廷」に一定のコミットメントがありますが、当時のテレビでの扱いはそれはひどいもので、面白半分に事件をもてあそぶ劣悪な番組が大半、目を覆いたくなる状況でした。
そういうものに折り目をつける気持ちもあって、40代はコメンテーターの仕事も受けていました。
今日のテレビと当時との一番の違いは、我々コメンテーターが「自由にコメントしてよかった」ことでしょう。その背景を記します。
私は「事前VTR収録不可、生本番のみOK」など、古くからのテレビ人で、出演条件をいろいろつけていました。
むろんテレビの「お約束」は分かっており、そのコード内で喋るとして、何をどうコメントしろといった細かな注文はつけられたことがありません。
段取りはADさんとすり合わせますが、大事なのは尺(時間枠)程度で
「基本、何をコメントしていただいても結構です」という状況でした。
こちらもテレビが長いですから、民放もNHKも各種のお約束は分かっています。
その範囲で、信頼関係がありますから、何をどう喋っても構いませんよという、牧歌的な時代が2000年代には続いていました。
そんな業界が大きく変わっていくのは、震災~原発事故~民主党から自民党政権に移行するあたりからだったようです。
担当者からも「あまり伊東さんに自由にお話いただけるような状況ではなくなってきて・・・」と詫びられたりしました。
結局40代の終わり頃からコンスタントなテレビ出演はなくなりました。
今も時折、地上波、BS、あるいはユーチューブなどからも依頼はあります。しかし音楽以外の、「顔出し」は「すべてNG」、断る前提の条件をつけますので、流れるケースが大半です。
勝手に編集される可能性がある媒体に出たいと思っていないので。
そういった背景をお話したうえで、いまここで私がお伝えしたいのは、なぜ2000年代、地上波テレビなのにコメンテーターとしての私が「自由に発言」できたか、という背景です。