「IT革命」とネットの変容
この経緯には、私自身もかつてテレビ業界で生活した時期がありますので、いくつか指摘できることがあります。
私は1999年まで放送の音楽を担当するクリエーターとして、また地上波、BS各局の番組制作にも携わって生計を立てていました。
特に、テレビ朝日系列「新・題名のない音楽会」では番組の音楽責任を持っていたので、当時の放送業界の「常識」や真偽不明の「風聞」「醜聞」は山のように耳にしました。
テレ朝は「ジャニーズ事務所」と関係が深かったので、SMAP「中居クン」については「歌はダメ」「やんちゃ」「なかなか親分肌」などの風聞は聞いています。
ただし、そうした噂の根拠も真偽も不明ではあります。1990年代後半の「中居クン」は、その当時は「NHK紅白歌合戦司会・最年少記録更新」といった形で持ち上げられていました。
20世紀のテレビは、それはひどい業界で、私は総じてそういうのを生理的に受け付けられませんでした。
1999年、34歳で制作現場は「卒業」、世間的には堅めのイメージがある「大学」に移りました。
移った先の東京大学に関する誤算は、テレビと似たような体質もあったことです。私の育った理学部は平和で穏当な世界でしたが、大学全体はそうでもなかった。
学内でセクハラを告発しかけたところ、隠蔽の挙句に研究室を解体されかけたり、まあいろいろな現実がありました。
「君子危うきに近寄らず」で十余年、ドイツ、オランダなどでのプロジェクトを中心に「厭離穢土」で仕事に勤しみました。
しかし、東日本大震災あたりまではテレビと全く無縁だったわけではありませんでした。