時代遅れになりつつあるマスメディアの透明度
例えば番組審議会などにしても、熱意や公開の程度は事業者によって相当のギャップがある。メンバーの年齢、男女比など、NHKのように明確な配慮が認められる事業者もあれば、番組編成や制作における利益相反性に対する疑義すらわいてくる「著名人」をずらりと並べているような事業者もある。
これでは到底、「自主規制」の説得力を感じられないし、社会的信頼を得られないのではないか。
電波の独占や、新聞社でいえば軽減税率が適用されているような状況だけに、その地位に甘んじているようでは困る。早急の改善が求められる。
最近では、偽情報、誤情報のネット上での大量流通、拡散の現実を前にして、プラットフォーム事業者に対する透明性向上や説明責任を求める風潮が強まっている。それでは伝統的なマスメディアの透明性や説明責任はといえば、十分に果たされてきたと視聴者が納得できる状況だろうか。
例えば、一見、似ている情報番組でも、社によって「作り方」や位置づけ、ガバナンスは相当に異なっている。報道基準でガバナンスしている社もあれば、そうではない社もあるし、制作する放送事業者の役割が大きい社もあれば、制作会社への依存度が高い社もある。曜日ごとに、制作会社が異なる情報番組もある。
これは番組を見ているだけではほとんど理解、識別できないし、一般の視聴者がそのような問題意識を持つことすら難しいと思われる。製造物責任や、他業種を念頭におくと、日本のマスメディアの透明化の程度は時代遅れになりつつある。