2024年、多くの著名人が亡くなった。12月19日に98歳で死去した読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏もその一人。日本の新聞界を代表する人物で、日本の政界にも強い影響力を持つことで知られた。そんな渡辺氏と交流があったジャーナリストの田原総一朗氏が、二人の間でこれまでどんな話をしてきたかを明かす。
保守派なのに「首相の靖国参拝に絶対反対」だった理由
僕が渡辺恒雄さんと初めてゆっくりと話したのは、意外と遅くて2001年ごろでした。当時は小泉純一郎首相が靖国神社に参拝するかどうかで大きな話題となっていた。そのとき、ナベツネさんは「靖国反対」「戦争はさせない」という主張を展開していたんです。
読売新聞といえば自民党の応援団でしょう。そのトップが「靖国には絶対行かない」と言う。さらには「日本を絶対戦争させない」と言う。朝日新聞社じゃないですよ。読売新聞のトップですよ。「この人は面白い」「ゆっくり話を聞きたい」と会いに行ったのが最初です。
もちろん、それ以前からナベツネさんのことは知っていました。
最初はまだ彼が政治記者として現場にいた時代です。当時は、若い頃の僕も含めてマスコミはだいたい反体制を気取っていたいた。反自民党です。
ところが、ナベツネさんは堂々と保守派を名乗って、自民党の中枢に入り込んでいた。そのときから「面白い人だな」と思っていました。
ただ、当時の私はテレビ東京で、三流メディアでしたからね。相手にされるわけもなく、そのままふたりとも忙しくなったので、ゆっくり話す機会はないままでした。
ナベツネさんとお会いした際には、靖国についての考えも直接聞きました。ナベツネさんは「僕は拝みもしないし、賽銭もあげない」「東條(英機元首相)は絶対に許せない」「あの軍の野蛮さ、暴虐さを許せない」と厳しい口調でまくしたてていました。
首相の靖国神社参拝についても「絶対に行くべきじゃない」と言い切っていた。なぜ、そこまで靖国を忌避するのか。
もちろん、日本のために戦って亡くなった方々を祀っているんだから、本来は行くべきだとナベツネさんも考えている。だけど、ここが僕とも共通しているんですが、靖国に行かなくなったのはA級戦犯を合祀したからなんです。僕も合祀される以前は靖国に行っていました。だから、彼とは気が合ったのです。
ナベツネさんはA級戦犯の中でも、戦争に反対していた広田弘毅(元首相、文官としてただ一人、A級戦犯として死刑となった)のことは「かわいそうだ」と言っていました。
だから、彼は「本当の戦争責任者と、反対したけれども巻き込まれた人間とを区別するべきだ。国会でもちゃんと歴史を研究して、『これは本当の戦犯だ』、『これは東京裁判ではA級戦犯にされたけど、名誉挽回すべきだ』ということをきっちりやらないといけない」と熱弁をふるっていた。読売新聞社内でもそうした歴史検証をする研究会を作り、戦争責任を考えるシリーズをやりました。