女郎買いは「まあ、仕方ないね」
さて、現代では、夫がフーゾクで遊んでいるのがばれ、妻に離婚を申し渡されるのは珍しくない。社会的に、夫がフーゾクで遊ぶのは妻への裏切りと解釈されている。
ところが、江戸時代、未婚・既婚を問わず、武士・庶民を問わず、男が女郎買いをするのは認められていた。少なくとも、「まあ、仕方ないね」という認識であり、非難されるべき行為ではなかった。
戯作『仮名文章娘節用』(曲山人著、天保五年)で、武士が息子に、友達付き合いを大事にしろと述べ——
「花に誘われ月に浮かれて、女郎買いなども三度に一度は、はずされなけりゃあ、行くがよいわさ」
——と、女郎買いに行くよう勧めている。
現代、父親が息子に、「友達にフーゾクに誘われたら行くがいいぞ」と言うなど、考えにくい。女郎買いに対する考え方が違っていたのがわかろう。いや、これは男だけにとどまらない。
戯作『浮世風呂』(式亭三馬著、文化十年)に、こんな場面がある。
ある女が、親戚の男が近所の娘たちと色事をして困っていると述べたところ、別な女がこう言う——
「女郎買いは大概、程があるからよいけれどの。……(中略)……まあ、いったい、男らしくねえね。男なら男のように金を使って、売り物買い物がよいわな」
——と、女郎買いならともかく、素人の女と遊ぶのはよくない、と。
女は、「女郎買いならまあ、仕方ないね」と、渋々認めていたと言おうか。「売り物買い物」はまさに売買春である。
もちろん、上記の『仮名文章娘節用』と『浮世風呂』はフィクションである。だが、当時の男女が読んでも違和感のない内容だった。つまり、当時の社会通念が描かれていると言ってよかろう。
戯作『娘太平記操早引』(曲山人・松亭金水著、天保十年)で、男が次のように述懐する——
「男は働き次第で、妾、てかけはもちろん、囲い者をしようが、女郎を買おうが、かまいはねえが」
——「妾」、「てかけ」、「囲い者」は同じ意味。
また、「妾は男の甲斐性」という言葉もあった。ともに、現代では通用しない考え方である。
現在、男がうっかり、「金を稼ぐ男がフーゾクで遊ぶのは当たり前だ」「妾を持つのは、男の勲章だ」などという発言をしたら、あらゆる女性から猛烈な抗議を受け、ごうごうたる非難を浴びるのは間違いない。

図2は、画中に「金で気ままに売色を楽む人」とある。言い換えれば、「金にあかせて好き放題に女郎買いをしている男」となろう。
まさに、江戸の男である。
江戸時代はよい時代だったのか、それともひどい時代だったのか……。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)