1人を1km運ぶのに必要なエネルギーは、鉄道の約6倍

 自動車にまつわるほかの問題、例えば大量の市街地面積を道路と駐車場に要してしまう問題も、ガソリンを使わないからなくなる類の問題ではない。自動車という乗り物そのものの問題である。

自動車であふれるルーマニアの首都ブカレストの市内。写真の自動車がすべて電気自動車に置き換わったところで、問題は解決するだろうか自動車であふれるルーマニアの首都ブカレストの市内。写真の自動車がすべて電気自動車に置き換わったところで、問題は解決するだろうか
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 さらに別の問題がある。インターネットで検索すると、ガソリン代(燃費)と電気代(電費)を比較しているウェブサイトが、電力会社のものや自動車メーカーのものなどさまざま出てくる。同じ距離を走ると仮定すると電気自動車はガソリン車の半分から四分の一程度の費用となり、ガソリンに比べて電気自動車のほうが大幅に安いと結論づけているものが多い。

 費用が安くなれば、より長い距離を走りたくなるのが人間の性である。環境経済学では「リバウンド効果」と呼ばれるものだが、その名の通り単価が安くなると利用・消費が増えてしまい、全体の需要が増してしまう、つまりリバウンドするという逆説である。

 電気自動車になったことで燃料・電気代が安くなって、自動車利用がリバウンドして増えてしまうのでは、上で述べた自動車の問題を増長してしまい、本末転倒である。

 要するに、どんなに電気自動車が普及して、電源構成が再生可能エネルギーになったとしても、公共交通が第三の機能を果たす余地は十分すぎるほどあるのである。

 やや蛇足だが、昨今議論になっているガソリン減税も、単体では同様のリバウンド効果を誘発してしまう点で、交通政策的には悪手である。家計負担を減らすのであれば、長期的には公共交通機関をしっかり整備しつつ、沿線に住むように居住誘導しながら、短期的な負担軽減のためには低所得家庭に向けてピンポイントで別の政策手段を採るほうが政策的には王道であると筆者は考えている。

オーストリア西部ブレゲンツの電気自動車によるカーシェアカー。ややわかりにくいが黄色の表示の脇に充電スタンドがある。走行距離が短く同じ場所に戻るので、ステーション固定型カーシェアと電気自動車は相性がよい。オーストリアの電源も7割を占める水力が主力だオーストリア西部ブレゲンツの電気自動車によるカーシェアカー。ややわかりにくいが黄色の表示の脇に充電スタンドがある。走行距離が短く同じ場所に戻るので、ステーション固定型カーシェアと電気自動車は相性がよい。オーストリアの電源も7割を占める水力が主力だ
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 話を戻そう。電気自動車や燃料電池車に切り替えることで交通弱者の移動の足となるセーフティーネットが生まれるだろうか。家族の送迎の負担が減るだろうか。これらは公共交通の第二の役割に関連する課題だが、電気自動車や燃料電池車がこれらの課題解決の手段にならないことは自明である。

 また自動運転車に大きく期待する向きもあるが、いつでもどこでも使える技術に近々発展する見通しがあるわけではない。最近はじまった松山の自動運転バスの例のように、近年の展開を見ると、公共交通としての技術の使い方のほうが現実味を帯び始めているように思われる。この点については機会を改めて整理して議論する予定である。

 自動車にまつわる社会課題に対応する戦略はいくつかあるが、その中で重要な位置を占めるのが、徒歩と自転車、そして公共交通でまかなえる移動を社会全体でなるべく増やして、自動車の利用を減らすことである。

 公共交通がバリアフリーで誰もが使いやすく、駅や停留所の密度が高く、本数も多く乗車機会も多いのであれば、徒歩圏外・自転車圏外でも、自動車を使わずにまかなえる移動が増える。第二、第三の機能をしっかりと果たすように公共交通を提供すれば、結果的に自動車の諸問題の緩和につながるのである。

 また人1人を1km運ぶのに必要なエネルギーで見ると、自動車は鉄道の約6倍、バスの約3倍のエネルギーを必要とする。エネルギー消費量が少ないということは、化石燃料や電力消費の減少(節電)、そして温室効果ガス排出の削減に直接貢献する。

 その意味でも、公共交通をしっかり整備して、自動車を使わずにまかなえる移動を社会全体で増やすことは理にかなっているのである。

公共交通整備は行動変容を通した社会課題解決につながる

 別の言い方をすれば、公共交通をしっかり整備して、将来にわたって提供が約束されていれば、沿線の人びとが使うのはもちろん、家を借りたり買ったりするときや、会社やお店をどこに置くかを決めたりするとき、公共交通の沿線を選ぶようになる。様々な施設やサービスが沿線に立地していれば、おのずと公共交通を選択する人が増える。長い目で見れば、これは人々の行動変容そのものである。

 もっとも、これは社会的な課題である。第一の側面である事業性を、運賃収入だけで担保する原則を求めている限り、東京都市圏のような特大かつ高密度な都市圏以外では、増発や路線網拡大に事業者が首を縦に振るのはなかなか難しい。

 東京都市圏、名古屋を中心とする中京圏、大阪・神戸・京都を中心とする関西の都市圏の人口を合わせてもおよそ6000万人である。残りの約6000万人はそれ以外の大小の都市や地方に住んでいるわけだが、こういったところほど自動車に依存する割合は高く、したがって上述の自動車にまつわる環境・社会の課題も多い。

 このような地域で行動変容を促すほどのサービスを提供して、自動車にまつわる諸課題の緩和を図るために、鉄道会社やバス会社が自らの財布の紐を緩めて慈善事業のようにやってもらうことを期待するのは、いくらなんでも無理があろう。

 社会課題やカーボンニュートラルに向け行動変容を促すツールとしての公共交通に対する政策的な取り組みは、公の財源から運営に対して資金を投じてでも、実現する価値が大いにあることであると筆者は考えている。

 当然、なんらかの公的資金の投入とそのための財源が必要になる。この点は次回のテーマとしたい。