遊女たちが放火してまで望んだ「仮宅」とは?

 吉原が大火事に襲われたのは、これが初めてではない。

 もともと吉原は日本橋葺屋町に位置していた。だが、江戸が発展するにつれて周囲に人家が立ち並ぶようになったため、風紀が悪化するのを懸念した幕府によって、移転することになった。

 移転が決定した翌年の明暦3(1657)年から「明暦の大火」(先の「明和の大火」より約115年前に起きた大火事)が起き、吉原は全焼。タイミング的に「大火事がきっかけで、吉原から新吉原に移転した」と誤解されやすいが、移転はもともとの決定事項だった。

 新吉原に移転してからは「明和の大火」以前にも火災は起きており、明和5(1768)年に吉原は全焼。その後も、慶応2(1866)年までのおよそ100年間に18回にわたって廓が全焼したことが記録から分かっている。明和から安永に改元してからも、火事は相次いだことになる。

 ドラマでは、女郎がつけ火、つまり放火するシーンがあったが、実際に遊女による放火は多かった。なぜ遊女は放火したのか。小芝風花が演じる花の井が蔦屋重三郎に、次のように説明していたが、キーワードが聞き取れただろうか。

「腹が減ったんだって。火事のあとは、仮宅のときは安いから客が押し寄せただろ。もういっぺんああなりゃ、腹いっぱい食えると思ったらしいよ」

「仮宅」(かりたく)というのは、浅草・本所・深川など吉原以外の場所で、遊女屋が営業することをいう。吉原が火災で全焼したときには、仮宅が許可された。仮の場所なので吉原のようなゴージャスさはなく、接客も質素になる分、揚代や祝儀も安くなった。

 一見、遊女屋にとって望ましいことではないようにも思えるが、仮宅のほうが、客としては経済的な負担が少なく、場所も敷居が低いために通いやすくなり、遊女屋はむしろ儲かった。吉原でも十分稼げる高級な遊女は別として、大半の遊女にとってはむしろ仮宅は望ましいことだったようだ。

 ドラマでは、遊女が仮宅を望んで火をつけてしまったわけだが、全焼にならなければ、仮宅の許可は下りない。実際には、火を目撃しても消火活動をせずに、わざと全焼させようとしたケースもあったようだ。やたらと吉原が全焼するわけである。

 遊女にとっては、自由に外出できるのも仮宅のメリットの一つだ。だがその一方で、客が選べずに酷使されるというデメリットもあった。にもかかわらず、全焼させてまで仮宅を望んだのだから、遊女にとって吉原がいかに過酷な労働環境だったかが分かる。

 実際の重三郎がどんなモチベーションで商いに精を出したのかは分からないが、ドラマでは「不遇な遊女の待遇を改善する」との思いが、重三郎を突き動かすことになりそうだ。