2015年にメルケル氏は、ハンガリーなどで立ち往生していた約100万人のシリア難民に対し、ドイツでの亡命申請を許可した。当時私はミュンヘン中央駅のプラットフォームで、列車で次々に到着するシリア難民たちを見た。駅前に集まった一部のミュンヘン市民は、シリア人の子どもに菓子や玩具を与えて、歓迎していた。
通常EUに入域する難民は、「ダブリン協定」に基づき、最初に到着したEU加盟国で、亡命を申請しなくてはならない。つまりメルケル氏がドイツでの亡命申請を許したのは、超法規的措置だった。多くの難民はドイツに来ることを希望した。この国が、手厚い社会保障制度を持ち、ハンガリーなど他の国々よりも難民に良い待遇を与えていたからだ。
「誤った印象を中東やアフリカの市民に送った」
CDUの姉妹政党・キリスト教社会同盟(CSU)の党首だったホルスト・ゼーホーファー氏は、当時メルケル氏に対し、「あなたの決定は、取り返しのつかないミスだ」と真っ向から批判を浴びせた。
メルケル氏はある難民居住施設で、シリア人の求めに応じて、携帯電話で、難民と並んで「セルフィー」を撮影させた。この写真はインターネットを通じて世界中に拡散された。ドイツの保守勢力は、「メルケル氏は、ドイツが難民を歓迎するという誤った印象を中東やアフリカの市民に送っている。ドイツは難民を引き寄せる磁石になっている」と批判した。
連邦難民局によると、2015年・2016年にドイツで亡命を申請した難民の数は約122万人という過去最高の水準に達した。難民の居住施設や食事の世話などを担当させられた地方自治体関係者たちは、「許容限度を超えている」と政府を批判した。ドイツでは今年も1月から11月までに約24万人が亡命を申請した。ドイツでは、ときおりテロ組織「イスラム国(IS)」などに感化された難民による、無差別殺傷事件が起きている。
メルケル氏は回顧録の中で、難民受け入れは正しかったと主張している。同氏は科学者らしく、通常はポーカーフェースを保ち、感情の起伏を滅多に露わにしない。だが彼女が首相時代に唯一、感情を爆発させたのが、難民問題で批判された時だった。メルケル氏は回顧録の中で、2015年9月15日の記者会見で行った発言を引用している。
この時メルケル氏は、「ドイツがシリア難民を受け入れた時、世界の多くの国々が『親切なジェスチャーだ』と称賛した。だが今になって、困っている人たちに対して我々が手を差し伸べたことについて(ドイツ国内で)批判され、謝罪しなくてはならないならば、ドイツは私の国ではない」と言ったのだ。この言葉には人権を重視するメルケル氏の姿勢が浮かび上がっている。
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