難民受け入れがドイツ政界に地殻変動を生じさせた
メルツ氏はメルケル氏とは異なり、CDUの保守本流に属する政治家だ。彼が率いるCDUでは、今日「メルケル氏がEUの規定を破ってドイツで100万人を超えるシリア難民を受け入れたのは失敗だった」という意見が有力だ。
その理由は、メルケル氏の難民受け入れが、2年後にドイツ政界に大きな地殻変動を生じさせたからだ。
有権者の間では、メルケル氏の難民政策に対する不満が強まった。このため、2017年の連邦議会選挙では極右政党・ドイツのための選択肢(AfD)が大躍進し、初めて連邦議会入りした。AfDはSNSを利用して、メルケル政権の難民政策を強く批判した。
アレンスバッハ人口動態研究所によると、現在のAfDへの全国での支持率は17%で、CDU・CSU(37%)に次いで第2位。AfDは今年9月のテューリンゲン州議会選挙で首位に立った。州議会選挙でAfDがトップの座を占めたのは初めてだ。2015年にメルケル氏が難民に示した「好意」は極右政党躍進の追い風となり、この国の政治地図を塗り替えた。
福島事故がメルケル氏に与えた衝撃
我々日本人にとってこの回顧録の中で興味深いのは、脱原子力政策に関する箇所だ。メルケル政権は、2011年に東京電力福島第一原子力発電所で起きた炉心溶融事故をきっかけに脱原子力政策を加速し、2022年末までに全原子炉を廃止することを決めた(実際に廃止されたのは2023年4月15日)。福島事故をきっかけに原子力政策をこれほど大きく変えた国は、ドイツだけだ。
この決定は、メルケル氏にとっても容易ではなかった。メルケル氏は、前年(2010年)に、CDUの保守派政治家や電力業界の要請に応じて、原子炉の稼働年数を延長したばかりだったからだ。同氏の記述には、それから1年も経たないうちに、態度を180度変えたことについての「きまり悪さ」の感情がにじんでいる。
メルケル氏は原子力エネルギーについての見方を変えた理由として、回顧録の中で「日本ほど技術水準が高く、厳しい安全基準を持つ国が事故を防げないのであれば、我々も原子力エネルギーに対してこれまで通りの態度を取ることはできない」と説明している。メルケル氏は、「この事故の直後は、それまで積極的な原子力推進派だった保守派の政治家の間や、CDU役員会でも、私の提案への反対意見はなかった」と語っている。
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