メルケル氏が率いるCDUは2005年の連邦議会選挙で勝ち、同氏はドイツ初の女性首相に就任した。メルケル氏の任期は、16年間続いた。その任期はコール氏に比べて9日間短いが、年数ではタイ記録である。
メルケル氏は首相在任中に、2007年のサブプライム住宅ローン危機と翌年のリーマンショックから始まるグローバル金融危機、ギリシャ政府の粉飾決算(2009年に発覚)が発端の欧州債務危機、日本の原子炉事故(2011年)が引き金となった脱原子力加速、ロシアによるクリミア半島併合(2014年)、難民危機(2015年)、コロナ禍(2020年)など様々な危機を経験した。このためメルケル氏の回顧録は、様々な危機に直面して、同氏がどのような判断を下したかを知る上でヒントを与えてくれる。
2008年、ウクライナNATO加盟をめぐる「攻防」
ロシアのウクライナ侵攻との関連で最も興味深いのは、2008年にブカレストで開かれたNATO首脳会議のくだりだ。この会議でNATOは、加盟を求めるウクライナに対し、実質的に門を閉ざした。NATO加盟国は2008年4月3日に公表した共同声明の中で、「我々はウクライナとジョージアがNATOのメンバーになるということで合意した」と明記した。だがNATOは、加盟の時期を明らかにせず、ウクライナに対しメンバーシップ・アクション・プラン(MAP)のステータスを与えることを拒否した。
MAPは、NATO加盟を希望する国の申請準備手続きの一部だ。MAPステータスを与えられれば自動的にNATOに加盟できるわけではないが、このステータスを与えられた国にとっては、将来のNATO加盟の可能性が極めて高くなる。
当時NATO加盟国の中で、ウクライナにMAPステータスを与えることに最も強硬に反対したのが、メルケル氏だった。当時フランスの大統領だったニコラ・サルコジ氏も、メルケル氏と同意見だった。当時米国の大統領だったジョージ・W・ブッシュ氏は、ウクライナにMAPステータスを与えたいという意向を持っていた。特にブッシュ政権の国務長官だったコンドリーザ・ライス氏は、ウクライナへのMAPステータス供与に固執していた。
メルケル氏は回顧録の中で、「米国のイラク侵攻の時に、ドイツやフランスは米国を真っ向から批判し、NATOに深刻な亀裂が生じた。私はウクライナにMAPステータスを与えることの是非をめぐる議論が、再び米欧間に亀裂を生む危険も強く意識していた」と述べている。つまりメルケル氏にとっては、ブカレスト会議は一種の綱渡りだった。
メルケル氏がウクライナへのMAPステータスの供与に最後まで反対した最大の理由は、ロシアを挑発することへの懸念だった。メルケル氏は「ウクライナの領土であるクリミア半島には、ロシア海軍の黒海艦隊の基地がある。この基地の使用権に関するロシアとウクライナの間の協定は、2017年まで続く予定だった。かつてNATOへの加盟を希望した国の中で、ロシアにとってこれほど重要な軍事拠点を抱えた国はなかった」と記している。
つまりメルケル氏は、ロシアの黒海艦隊の基地を持つ国に、MAPステータスを与えることで、ロシアがNATOに激しく反発することを恐れた。彼女は「NATO加盟は、新たにNATOに加わる国の安全だけではなく、NATOの安全も強化しなくてはならない」と言う。つまりメルケル氏は、ウクライナにMAPステータスを与えることが、NATOにとって危険だと考えたのだ。さらにメルケル氏は、「当時ウクライナでNATO加盟を求める市民の数は少数派だった」と付け加えている。
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