今日、メルツ氏が率いるCDUでは、「メルケル氏の脱原子力政策は誤りだった」という意見が主流だ。同党は今年11月に公表したエネルギー政策に関する提言書の中で、「原子炉の再稼働が可能かどうか調査するべきだ。小型モジュール原子炉(SMR)など次世代の原子炉の研究開発を進めるべきだ」と主張している。
東ドイツでの「体験」が生んだメルケル氏の「政治的信念」
メルケル氏がこの回顧録に「自由」という題名を付けた理由はよく理解できる。同氏は社会主義時代の東ドイツと西ドイツの統一に、約150ページつまり全体の約5分の1を割いている。彼女は現役時代、自分が東ドイツで育ったことを前面に出さなかった。今回メルケル氏は回顧録の中で、社会主義国での自由の抑圧の経験が、自分の政治家としての基本姿勢を形作ったと語っている。
メルケル氏は、社会主義体制に抵抗した反体制運動家ではなく、体制に適応した一市民だった。しかし教条主義的な東ドイツでの教育については、不満感を持っていた。
メルケル氏は1978年に、テューリンゲン州のイルメナウ工科大学で助手として就職することを考えた。だが審査過程で国家保安省(シュタージ)の職員から「学生について情報を提供する協力者(IM)になれ」と求められた。メルケル氏はこの要請を拒否したため、就職については希望がかなえられなかったが、後年の政治家としての経歴に傷をつけずに済んだ。もしも彼女がこの時にシュタージへの協力を受諾する宣誓書にサインしていたら、初の女性首相になる道は閉ざされていたはずだ。
メルケル氏は回顧録で「東ドイツでの生活は、常に崖っぷちを歩いているようなものだった。いつ運命が劇的に変化して、奈落の底に落ちるかわからなかった」と述べている。メルケル氏が戦火を避けて西欧へ逃げてきたシリア難民に温情的な態度を示した背景には、東西間を隔てる壁が建設される前に、ドイツ西部へ逃げた市民、ベルリンの壁を越えて西側へ逃亡した市民の姿も重なっていたのかもしれない。
メルケル氏が自由を重視する姿勢は、社会主義体制下で生きたからこそ、西ドイツで育った人間よりも心に深く刻み込まれた。「自由」という書名には、「政治家は自由を守るために戦わなくてはならない」というメルケル氏の信念が込められている。
欧州現代史に関心がある人にとっては、必読の書だと思う。
熊谷徹
(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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