メルケル氏は、回顧録の中で過去にロシアとウクライナが、陸上パイプラインの天然ガスの通過料をめぐってしばしば争い、一時東欧への天然ガス供給が途絶えたことなどを指摘。さらに、ウクライナを通過しないNS1が、ドイツや他の西欧諸国への割安の天然ガスの供給を支えたことを指摘。「プーチン氏に対しては、NS2の建設に合意する条件として、ウクライナに陸上パイプラインの通過料を保証する契約を延長するよう求めた」と述べている。

メルケル政権、2つの明らかな政策ミス

 だがメルケル政権が、プーチン氏のウクライナに対するアグレッシブな態度が表面化した後も、エネルギー貿易を拡大しようとしたことは否めない。

 たとえばロシアは2014年にクリミア半島に戦闘部隊を送って、この地域を併合した。露骨な国際法違反である。だがメルケル政権は、プーチン氏がウクライナの主権を侵害したにもかかわらず、2018年にNS2のドイツの領海内での建設の最終許可を出した。それだけではない。メルケル政権は、ロシアのクリミア半島併合の翌年の2015年に、ロシアの国営企業ガスプロムが、ドイツ最大の天然ガス地下貯蔵設備レーデンを所有・管理するドイツ企業を買収する許可も与えた。

 つまりメルケル政権は、ロシアがドイツへの天然ガス輸入量を増加させるだけではなく、貯蔵設備をコントロールすることまで許した。ドイツのロシアに対する警戒心がいかに薄かったかを示すエピソードだ。

 ロシアのウクライナ侵攻が始まった後、オラフ・ショルツ政権はガスプロムによるレーデン貯蔵設備の買収を無効化する法律を施行し、管理権はドイツ側の手に戻った。NS2の承認手続きも凍結させた。

 今日ではロシアのクリミア半島併合は、ウクライナ戦争の第1ラウンドだったと見なされている。メルケル政権がロシアのクリミア半島併合後に、NS2建設と、レーデン貯蔵設備のロシアへの売却を許可したのは、明らかな政策ミスだ。

 同氏は、2022年6月にドイツの通信社RNDと行ったインタビューの中で、「私がロシアとエネルギー貿易を続けた理由は、世界第2位の核大国ロシアと、対話のチャンネルを維持する必要があると思ったからだ」と語っている。つまりメルケル氏は、「自分はロシアの危険さを知っているので、ロシアとの意思の疎通をやめるのではなく、貿易を通じて対話を続ける必要があると思った」と弁明しているのだ。

回顧録執筆の動機は「難民危機」

 メルケル氏は回顧録の前文の中で、「私は首相だった時、本を執筆する気はなかった。だが私の気持ちを変えて、本を書かなくてはと思うようになったきっかけは、2015年のシリア難民をめぐる議論だった」と語っている。

2015年9月、メルケル首相(当時)の受け入れ発表後に、ミュンヘン中央駅に到着したシリア難民たち。難民政策について国内で高まった批判が、メルケル氏に回顧録を執筆させる最大の動機となった(写真:筆者撮影)2015年9月、メルケル首相(当時)の受け入れ発表後に、ミュンヘン中央駅に到着したシリア難民たち。難民政策について国内で高まった批判が、メルケル氏に回顧録を執筆させる最大の動機となった(写真:筆者撮影)

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