ウクライナのNATO加盟拒否にこだわった理由
ブカレストでの会議では、ブッシュ大統領(当時)がメルケル氏の主張を受け入れ、ウクライナにMAPステータスを与えず、共同宣言に「ウクライナはNATOのメンバーになる」という曖昧な一文を加えるに留めた。ウクライナ政府にとっては、この一文は全く不十分だった。
メルケル氏は、ウクライナに対するMAPステータス拒否にこだわった理由の一つとして、2007年のミュンヘンでの安全保障会議でウラジーミル・プーチン露大統領が行った警告を挙げている。プーチン氏はこの会議での演説で、「米国による世界の一極支配」と、NATOの東方拡大を強く批判した。特に彼はNATOの東方拡大をロシアに対する挑発と呼んだ。彼は1998年のコソボ戦争や2003年の米国のイラク侵攻を例に挙げ、「米国は国際法を次々に破るだけではなく、政治、経済、人権などあらゆる領域で他国の権益を侵している。NATOと欧州連合(EU)が国連を骨抜きにすることは許されない」と述べた。
メルケル氏は回顧録の中で、「プーチン氏は、ソ連が超大国として、米国と互角の立場で対峙していた時代の復活を夢見ている」と語っている。さらに、メルケル氏はプーチン氏とのある会話も記録している。この時プーチン氏は、「あなたは永久にドイツの首相ではいられない。いつかは首相の座から降りる。そうすればウクライナはNATOに加盟するだろう。私は、ウクライナのNATO加盟を絶対に阻止する」と語った。この言葉は、メルケル氏の心の中で、ウクライナにMAPステータスを与えることについての懸念を深めたという。
現在ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権は、ロシアとの停戦交渉に参加する条件の一つとして、欧米諸国がウクライナを将来のロシアによる侵略から防衛する保証と、NATOがウクライナを招聘することなどを求めている。米国とドイツは、ウクライナをNATOに加盟させることに反対している。NATOは原則として、戦争に巻き込まれている国を加盟させることはない。そう考えると、ウクライナのNATO加盟への道は現在も相当困難であると言えそうだ。
宥和的な対ロシア政策でも、自己批判は希薄
メルケル氏の回顧録に一貫するトーンは、「私が首相時代に行った決定は全て正しかった。もう一度同じ機会を与えられても、同じ決定を下すだろう」というものだ。個人主義が浸透しており、自己を正当化する傾向が強いドイツでは、ある意味で当然の態度かもしれない。
ただしロシアに対して宥和的だった全ての政治家が、メルケル氏と同じ態度を取っているわけではない。たとえばメルケル政権で外務大臣を務め、親ロシア派として知られたフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー大統領(社会民主党)は、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻直後、「私はプーチン氏の真の意図を見抜くことができなかった。ウクライナやポーランドの警告を無視して、ロシアからドイツに天然ガスを送る海底パイプライン・ノルドストリーム(NS)1・2の建設を推進したのは失敗だった」と述べている。これに対しメルケル氏は回顧録の中でも、対ロシア政策をめぐってこのような自己批判を行っていない。
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