場当たり的政府のもとでは社会保険を信用できない

 もっと詳細に社会保険料率を見てみよう。厚生年金保険料率(上限18.3%)、健康保険(加入健康保険組合によるが協会けんぽで10%前後)でこれを事業者と折半する。雇用保険は事業主負担部分の割合が高く、また業種によって料率が異なるがあわせて1%前後だ。なお所得税の納税者の6割が最低税率(5%)に、8割強の納税者が10%に収まることが知られている。

◎内閣府「納税者の分布

 もちろんフリーランスや請負など働き方によって加入できる保険や控除等も異なるが、社会保険料と税額を足し合わせても多くの場合にはやはり月の給料の4割にはならないだろう。

 要するに、「四公六民」、すわ「五公五民」か、などというのは単なる言葉遊びなのだ。

 付言すれば、保険は投資ではないし、貯金でもない。そのことも最近ではすっかり忘れられている。国が提供するものにおいてはなおさらだ。

 投資はリターンが何より重要だが、保険は不確実性に対処するための仕組みだ(不確実性に対して、どのように、どの程度備えるべきかという規範は社会や時代によって異なる)。

 自動車保険が比較的馴染み深いのではないか。日本では対人補償を対象とする自賠責保険が強制加入。交通事故は損害賠償額が大きくなりがちなことから、民間の自動車保険に加入しないという人はまずいないだろう。

 その一方で交通事故の死者数は過去10年でも劇的に減少し、年間3000人を割った。自動車保険は事実上掛け捨てになることも少なくないと思われるが、もしものときに備えて自賠責保険に加えて民間保険を活用することについて多くの人が納得していると思われる。

 他の保険も基本的には同じで、健康や将来不安、雇用の不安への備えなのである。日本では定年制が一般的で、平均寿命が伸びていることを考慮すれば、老後の生活保障の仕組みに関する重要性が近年になってさらに増している。これは現役世代の生活が重要であるということをなんら否定するものではない。両方重要なのである。

 意外かもしれないが、定年制は世界ではそれほど一般的ではないし、年齢を理由にする解雇は差別だと考えられているアメリカやイギリスなどのような国もある。ただし、そのような社会においては能力を理由にする日本でいうところの「企業都合の整理解雇」が法的に認められていたり、単に年金支給年齢だけが定められていたりする。

 社会保険に関する議論が複雑怪奇に感じられる理由は、保険の種類が複数あり、発展の経緯がまちまちであることに加えて、各時代において保険者と被保険者との間で結ばれた約束であり、契約であるからだ。

 日本では自営業者の人の年金保険よりも、共済保険が先に発達した。その後、敗戦を経て、国力が大きく毀損し、自営業者の人たちなどを含めた国民皆保険が成立するのは、ずっと時代が下って1961年のことだ。それとて今と比べれば相当の不備があった。

 介護保険制度についていえば、介護保険法成立が1997年、施行が2000年からなので、せいぜい20年の歴史しかないのだ。

 ある時代の状況にあわせて、現役世代の利益だけを優先して高齢世代との契約や約束を反故にする政府があるとすれば、その政府は現役世代が高齢世代になったときに、同じ理屈に基づいて、高齢世代になった当時の現役世代との約束を反故にしてその時代の現役世代の利益を優先するかもしれない。

 そんな場当たり的な政府のもとでは社会保険を信頼できなくなってしまいかねない。

 このように簡単な歴史的経緯や制約条件を踏まえるだけでも、ゼロベースで効率的な社会保険を作るというわけにもいかず、現行制度の制約条件を踏まえながらの難しい調整が必要になることがわかる。

 今まさに、連日報じられている「壁」の議論も同様だ。