「医療格差」で階級戦争が勃発か

 マンジオーニ被告は、昨年までハワイでリモートワークをしていたとされる。友人によると、被告はハワイでサーフィンをし始めて元々悪かった腰をさらに痛め、去年の夏手術のために東海岸へ戻った。同被告のXプロフィールには、脊椎固定術によりボルトが埋め込まれたようなレントゲン画像があがっている。

 友人は、被告がこの怪我によって女性と親密な関係を持つのが困難になると話していたとも言う。今年の春ごろから親しい人たちとの連絡が途絶え、地元報道によると、家族が11月になって被告の捜索願いを出したとされている。

 被告は今年1月、読書サイト上で、1978年から95年にかけて小包爆弾事件を起こした数学者のセオドア・カジンスキー受刑者(昨年死亡。「ユナボマー」として知られた)のマニフェストについて書評を書いている。その中で、オンライン上で見つけたという「あらゆるコミュニケーションが失敗した場合、生き残るには暴力が必要だ」「彼の観点から見れば、それはテロではなく、戦争であり革命だ」という言葉を引用しており、自身の言葉でもテロリストに共感するような見解を記している。

 周囲との連絡を絶った半年あまり、マンジオーニ被告にどのような心境の変化があったのかは、捜査の進展を待つしかない。裁判を傍聴したCBSニュース記者によれば、被告は法廷内で時折笑みを浮かべ、居並ぶ報道陣を見回したり、その場の人数を数えていたりしたようだという。

 マンジオーニ被告が所持していた文書には、人々に「寄生」する保険業界への怒りや、企業による強欲さへの軽蔑も示されていたという。米国は世界で最も高額な医療制度があり大企業の利益が増大する一方で、人々の平均寿命は伸びていない、ともしている。

 ニューヨーク市警は、オンライン上に他社CEOの顔写真まで出回っているとした。今後、マンジオーニ被告の行動に触発された模倣犯の危険性も指摘されている。

 今回の事件について一部メディアには、これを「階級戦争」と位置付けるものもある。

 Xでは「トンプソンCEOが銃殺されたことを悼む…いや、すまない。私たちは今日、ブライアン・トンプソンのような保険会社幹部が大富豪になるため毎年不必要に命を落としている6万8000人の米国人の死を悼む」という投稿にも、11万個の「いいね」がつけられている。

 トンプソン氏殺害に関連し、TikTokでバズった、あるフォーク・ミュージシャンの歌がある。その歌詞の中には「金を払う財布がなければ、生きることが呪い」という一節がある。曲のサビでは、銃弾に刻まれていたという3つの言葉が使われている。

 いかなる理由があろうとも、殺人の正当化は許されることではない。一方で、今回の銃撃事件が米国の医療コスト問題の根深さや異常さ、そして保険業界に対する人々の激しい怒りをあらわにしたことも事実だろう。

楠 佳那子(くすのき・かなこ)
フリー・テレビディレクター。東京出身、旧西ベルリン育ち。いまだに東西国境検問所「チェックポイント・チャーリー」での車両検査の記憶が残る。国際基督教大学在学中より米CNN東京支局でのインターンを経て、テレビ制作の現場に携わる。国際映像通信社・英WTN、米ABCニュース東京支局員、英国放送協会・BBC東京支局プロデューサーなどを経て、英シェフィールド大学・大学院新聞ジャーナリズム学科修了後の2006年からテレビ東京・ロンドン支局ディレクター兼レポーターとして、主に「ワールドビジネスサテライト」の企画を欧州地域などで担当。2013年からフリーに。