ロシアはアサドを助けに来なかった

 米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)中東プログラムのナターシャ・ホール氏は「最も驚くべきはロシアがアサド政権を助けに来なかったことだ。シリアはアフリカや地中海におけるロシアの発射台。その一方で、ロシアはアサドの強硬姿勢に不満を募らせていた」という。

2020年1月7日、シリアのダマスカスにある正教会の大聖堂を訪れ、キャンドルに火を灯すロシアのプーチン大統領(右)とシリアのアサド大統領(写真:代表撮影/AP/アフロ)
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 クレムリンはアサドとエルドアン氏の間で和解に向けた交渉を進めていた。しかしアサドは譲歩する気配を見せなかった。「そのため、トルコはHTS率いる反政府軍に攻撃を許可した可能性が高い」とホール氏はみる。

 ウクライナ戦争で北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記に助けを乞う窮地に追い込まれたウラジーミル・プーチン露大統領にアサドを守る余力は残されていなかった。政権崩壊後、アサドはウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ元大統領と同じようにロシアに逃れ、プーチンに庇護を求めた。

 イランにとってダマスカスを失うことはヒズボラへの補給路が壊滅的な打撃を受けることを意味する。

 ブルッキングス研究所のスザンヌ・マロニー氏は「シリアへのアクセスがなければイランのイスラム革命防衛隊といえどもヒズボラやパレスチナ・ガザ地区のイスラム組織ハマスの迅速な再建は難しい。イランの影響力拡大を可能にしたものが今やイラン崩壊の道を開く」と指摘する。

 ヒズボラとイランを弱体化させ、アサド政権崩壊の環境を整えた形のイスラエルはいまHTSの台頭を警戒する。不測の事態を恐れ、シリアの軍事目標を攻撃、シリアとの国境に“無菌地帯”を構築しようとしている。アサド政権の崩壊は平和への第一歩なのか、それとも新たな混乱の幕開けなのか、予測するのは難しい。

【木村正人(きむら まさと)】
在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争 「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。