(英エコノミスト電子版 2024年12月8日付)

シリアの首都ダマスカスにあるモスクで、反政府派の旗を掲げてポーズをとる反政府派の兵士(12月9日、写真:ロイター/アフロ)

 反体制派が電光石火で進軍し、アサド大統領が国外へ逃れた。

 シリア人は以前にもこうした光景を目にしたことがある。地元住民がバッシャール・アル・アサド大統領のポスターを破り捨て、大統領の軍隊の基地を占拠し、政治犯が収容された刑務所を襲撃する光景だ。

 だが、それは10年以上前の話だ。

 もう一度見るとは予想していなかった。そして、その次に起こることなど夢にも思っていなかった。

 自分の軍隊にも友好国にも見捨てられたアサド氏が国から逃げ出した。24年に及ぶ独裁者の冷酷な統治が突然終わりを迎えた。

反乱を指揮したシャーム解放機構

 敗北が決まるまで2週間もかからなかった。

 反体制派がシリア北西部で攻撃を始めたのは11月27日のことだ。自分たちの支配地域を攻撃されたことへの報復というのが表向きの理由だった。

 進軍を続けるうち、アサド政権の陸軍が少しずつ逃げ出すようになったことから、前進に前進を重ねた。

 11月29日にはシリア第2の都市アレッポを手に入れ、12月5日には中部の要衝ハマも制圧。さらに南に進み、2日後にはシリア第3の都市ホムスに達した。

 反体制派を率いているのはシャーム解放機構(HTS)という組織だ。

 かつてはイスラム過激派「アルカイダ」に連なっていたが、2017年に袂を分かち、シリア北西部のごく一部を数年前から統治している。

 ホムスではハマやアレッポよりも激しい抵抗に見舞われたが、それでもホムスは陥落した。

 これにより反体制派は内陸の首都ダマスカスと、アサド政権のイスラム教アラウィ派の拠点である地中海沿岸部とを結ぶ高速道路を断ち切ることができた。