「1014年~1031年」と説に幅がある紫式部の没年

 さて、式部はいうと、ドラマでは娘が宮仕えを希望したことをきっかけに自身は内裏から去り、旅に出ることを決意している。晩年の心境であろうか。『紫式部日記』の末尾で、こんなふうに人生を振り返っている。

「かく、かたがたにつけて、一ふしの思ひ出でらるべきことなくて過ぐしはべりぬる人の、ことに行末の頼みもなきこそ、なぐさめ思ふかただにはべらねど、心すごうもてなす身ぞとだに思ひはべらじ」

(このように、あれやこれやと申しましたが、何一つ思い出となるようなこともなく生きてきた自分が、格別にこれから頼り所もないのは慰めにするものもございません、せめて荒んだ気持ちで振る舞うことだけはしたくありません)

 もっとも紫式部については、長和2(1013)年以降のことは文献で明らかになっていない。没年についても説によって幅があり、最短で長和3(1014)年、最長で長元4(1031)年とされている。40代半ばから60代を迎える頃までに亡くなったようだ。

 ドラマでは、紫式部が旅に出ると決まると、道長が出家を決意している。つまり、道長が出家する寛仁3(1019)年に、式部は50歳で旅に出たことになる。史実はともかく、ドラマではセカンドライフを楽しむ式部の姿を見ることができそうだ。

 ここからの式部をどう描くかは脚本家次第で、自由に動かすことができる。果たしてどんな旅が待ち受けているのだろうか。

 最終回までいよいよ残すところ3回となった。名残惜しいが、式部そして道長の晩年を味わうことにしよう。

大河ドラマ『光る君へ』に出演する紫式部役の吉高由里子さんと藤原道長役の柄本佑さん果たしてドラマでの2人はどんな結末を迎えるのか?(まひろ=紫式部役の吉高由里子さんと藤原道長役の柄本佑さん/写真:共同通信社)

【参考文献】
『新潮日本古典集成〈新装版〉紫式部日記 紫式部集』(山本利達校注、新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『現代語訳 小右記』(倉本一宏編、吉川弘文館)
『紫式部』(今井源衛著、吉川弘文館)
『藤原道長』(山中裕著、吉川弘文館)
『紫式部と藤原道長』(倉本一宏著、講談社現代新書)
『三条天皇―心にもあらでうき世に長らへば』(倉本一宏著、ミネルヴァ日本評伝選)
『偉人名言迷言事典』(真山知幸著、笠間書院)

【真山知幸(まやま・ともゆき)】
著述家、偉人研究家。1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年より独立。偉人や名言の研究を行い、『偉人名言迷言事典』『泣ける日本史』『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたか?』など著作50冊以上。『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は計20万部を突破しベストセラーとなった。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などでの講師活動も行う。徳川慶喜や渋沢栄一をテーマにした連載で「東洋経済オンラインアワード2021」のニューウェーブ賞を受賞。最新刊は『偉人メシ伝』『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』『日本史の13人の怖いお母さん』『文豪が愛した文豪』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方』『「神回答大全」人生のピンチを乗り切る著名人の最強アンサー』など。