銀行というプレッシャーと相互監視の職場
銀行員が、酒、女、ギャンブルに走るのは、銀行がプレッシャーと閉塞感に満ちた職場であることが一因だ。外からはなかなか想像できないが、銀行員は、毎週、毎月、毎半期(6カ月)単位で数字(業績)を上げることに血眼になっている。
筆者が20代後半、外回りとして勤務した日本橋支店では、週に1回程度営業の会議があり、支店長や課長から「そんなやり方じゃだめだろう!」「だからお前は駄目なんだよ!」「もっと真剣にやってくれ!」「今月中に預金と貸出しをいくらいくら必達しろ!」といった、罵声や叱咤が飛び交っていた。別の支店では、支店長が部下に受話器を投げつけたりし、横浜支店時代には、稟議書のファイルを投げつける融資課の支店長代理がおり、筆者もしょっちゅう投げつけられた。
各支店には、毎朝8時頃に本部から各取引先や外回り各人の日々の収益額を集計したコンピューター帳票がどさっと送られて来て、まずそれをビニール袋から取り出し、自分の分を切り離して開き、前日の預金残高、貸出し残高、獲得収益額などを確認してから一日が始まっていた(筆者がいた都銀はバンク・オブ・アメリカを模範に「ピープルズ・バンク」を標榜し、個人取引に力を入れていたので、日立製作所がつくった優れた顧客管理システムを持っていた)。
当時は、金利のある世界だったので、支店の目標は半期ごとの収益額、各人の目標は、預金と融資の残高、クレジットカードの獲得件数などだった。現在はほぼ金利のない世界なので、各人の目標は手数料獲得による収益額が中心である。
筆者が日本橋支店にいた頃は、ちょうどバブル期で仕事も多く、それもストレスを倍加させた。今となっては恥ずかしい気もするが、筆者は毎晩仕事の後同僚などと酒を飲み、家に帰り着くのは真夜中だった。あまりに疲れていたので、真夏でもシャワーも浴びずにべとべとの身体で布団に倒れ込み、朝まで泥のように眠り、朝起きてからシャワーを浴び、出勤していた。最初、汗まみれで寝ることに抵抗があったが、2、3日すると慣れて、「こんな状態でも人間は寝られるんだなあ」と我ながら感心した(呆れたと言うべきか)。