民主党の強い地区、ニューヨーク州の大陪審がトランプを起訴したことは、共和党の政治家、トランプに対する政治的制裁の意味が濃厚である。地方自治とはいえ、このように政治的色彩が濃くなると、国家というものの意味を考えざるをえなくなり、連邦制にも懐疑の念が湧いてくる。

 まさに、モンテスキュー・マディソンの理想型にも問題があるのである。私は、自分の政治体験から、大統領制よりも議院内閣制のほうが良いと考えている。

二元代表制

 日本の自治体は、知事や市町村長を住民が直接選挙で選ぶ。その意味で、大統領制である。しかし、同時に議会も存在し、議員も有権者の直接選挙によって選ばれる。

 地方議員は、これを「二元代表制」と呼び、首長と議員とは正統性において同等であると声高に主張する。議会で予算や条例が通らないことには、行政は動かない。また、首長に対して不信任決議もできる。これらは議会が持つ首長に対する牽制の武器である。今回も、兵庫県議会は全会一致で斎藤知事に対する不信任案を決議している。

 また、百条委員会という首長牽制の道具もある。地方自治法100条に定められた百条委員会とは、地方議会が必要に応じて設置する特別委員会で、正当な理由なく関係者が出頭、証言、記録の提出を拒否したときには、禁固または罰金に処すことができる。

 議会は、これを武器にして、「辞任しないなら百条員会を設置するぞ」と恫喝するのである。まさに、政治的武器であり、今回の兵庫県でも、この武器が使われている。

 都道府県議会は選挙区が細分されているので、地元の利権を追求する議員のほうが、都道府県全体の利害を考える首長よりも、利権に染まりやすい。私も、都知事のときには、地元の利権のフィクサーのような都会議員と戦わざるをえなかった。知事が東京全体の改革を試みても、それが地元の利益を侵害するときには、フィクサー議員たちは抵抗集団となるのである。