「行き当たりばったり」だったアメリカの対アジア政策
東南アジアに目を向けると、東南アジアでは太平洋戦争中の日本軍の侵攻によって戦前の植民地支配秩序は崩壊し、民族主義運動が活発になっていた。これらの民族主義運動は共産主義と結びついていた。アメリカとしては東南アジアが共産主義の手に落ちることは望ましくなく、非共産主義の民族主義者を支援することとなった。
例えば、ベトナムでは地域住民の支持を得ていない指導者(バオ・ダイ)を支援することにしたのだが、それが後のベトナム戦争に繋がるのである。
いずれにせよ、東南アジアはヨーロッパや日本の経済復興を実現するため、市場、原材料の調達先として重要視された。
アメリカは日本の防衛を中心とする戦略を採用したが、1950年6月に朝鮮戦争が勃発したことをきっかけとして韓国の重要性も高まった。1952年4月にサンフランシスコ平和条約が発効されて日本は主権国家として独立し、同時に日米安保条約が成立。米韓同盟が締結されたのは、朝鮮戦争の休戦協定が成立した後の1953年10月である。
以上のように、アメリカは戦後しばらく明確な対アジア政策を持たず、その時々の状況に対応する形で外交政策を作っていった。ある意味で「行き当たりばったり」であったのだ。各国と個別で条約を結んでいったのはそのような背景がある。
アメリカがアジアで結ぶ同盟はなぜ「二国間」なのか
こうした経緯を踏まえて、日本でもよく知られるアメリカの安全保障専門家、ビクター・チャ氏の主張を検討しよう。チャ氏はブッシュ政権下の2004年から2007年まで国家安全保障会議でアジア部長を務め、北朝鮮の核開発問題を協議した6カ国協議では次席代表を務めた人物である。現在はジョージタウン大学で教授を務めるほか、戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長も務めている。
チャ氏は2016年に出した著書『Power Play: The Origins of the American Alliance System in Asia(パワープレイ:アジアにおけるアメリカの同盟システムの起源)』(プリンストン大学出版、未邦訳)の中で、アメリカは二国間の条約を結ぶことによって、同盟国の外交や内政をコントロールし、非対称的な力関係を維持したと述べている。