しかし、中華人民共和国が1949年10月に成立し、中国においては共産党支配が確立した。アメリカにとっては「中国の喪失」であった。大陸中国を中心に考えていたアメリカの政策は崩壊したのである。1950年2月には日本を仮想敵国とする中ソ友好同盟相互援助条約が成立し、1950年6月には朝鮮戦争が勃発する。
日本は「共産主義の防壁」としての重要性が急速に高まり、アメリカは日本を軍事的、経済的に活用することを決定する。日本を経済的に復興させるだけでなく、日本に米軍基地を置き、日本を再軍備し、ソ連や中国に対抗させる。すなわち、日本を「西側陣営」に確保する戦略が取られたのである。この一連の過程は「逆コース」とも呼ばれる。
朝鮮戦争が起こるまで、アメリカの政策決定者の中では、朝鮮半島の位置づけは必ずしも高くなかった。国務長官であるディーン・アチソンが1950年1月の演説で、「不後退防衛線」(いわゆる「アチソン・ライン」)から台湾と朝鮮を暗に除外したのは有名な逸話である。
しかし、朝鮮戦争をきっかけとして、アメリカは、韓国が共産主義陣営の手に落ちれば、日本への直接の脅威となることに気付く。韓国は、日本を防衛するためにこそ重要なのである。
その意味で、アメリカにとって、韓国防衛の重要性はあくまで二次的なものなのだ。この事実は国際政治の研究者にとっては常識だが、一般にはあまり理解されていない。韓国籍の筆者は、この事実を常に念頭に置かなければならないと肝に銘じている。