ただこういう事態は、日常茶飯事だったという。月に10日ほど、野崎氏宅でお手伝いをしていたが、その間、ささいなことで旧知の野崎氏と衝突してしまうことが多々あった。アプリコの番頭“マコやん”はこれを「ウルトラマンのカラータイマー点滅」と呼んでいたという。一定の時間が経つと、鬱憤が積もり積もった大下さんの感情が爆発し、野崎氏宅を出て行ってしまうのだという。

 大下さんもよくわかっていて、

「私一人で話し相手もいないからここにいると気が変になっちゃうのよ。社長に愚痴をこぼすワケにもいかないし……」

 と周囲にこぼしていたそうだ。

 それでいて、1週間ほどするとケロッとした顔で戻ってくる。野崎氏と大下さんは実に不思議な関係だった。

タイミングよく電話が

 ただ、大下さんがいなくなると、掃除、洗濯、炊事、買い物など、野崎氏の身の回りの世話をしてくれる人がいなくなってしまう。かつては田辺市内の家政婦斡旋所に依頼したこともあったそうだが、お手伝いさんを「盗っ人」呼ばわりするトラブルを何度も起こしていたため、向こうから拒否されるようになっていた。

 野崎氏と懇意にしており、イブの葬儀にも参加していたジャーナリストの吉田隆氏は、この時、野崎氏と以下のようなやり取りがあったという。

「大下さんがしていた仕事、早貴ちゃんにやらせればいいじゃないですか」

 すると野崎氏は、

「アレはダメだ。やらないから」

 と即答したという。

「でも、社長が言って、やらせればいいじゃないですか」

 あとは野崎氏は苦笑するだけだったという。きっと早貴被告に家事をやらせることは、最初から諦めていたのだろう。

 吉田氏が言う。

「早貴被告はドン・ファンとの入籍後に、『結婚するときに、家事はしなくていいって社長に言われましたから』と笑いながら話していました。実家はごくごく一般的な家庭のようで、深窓の令嬢というわけではないでしょうが、家の手伝いもほとんどしていなかったようです」

 イブの葬儀があった5月8日、吉田氏は田辺市に投宿した。そして翌日、ふたたび野崎氏宅を訪れると、野崎氏が自分の携帯電話を手にしながらこんなことを頼まれた。

「あのね、お手伝いをしてもいいという方がいるんですよ。3年ほど前に銀座のクラブで働いていた方ですけど、記憶にほとんどなくて……。吉田さん、ちょっと電話で確認していただけませんか?」

「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(撮影:吉田 隆)
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 その日の朝、お手伝いさんを探そうかと思っていた野崎氏の携帯電話に、たまたま銀座の元ホステスから電話があったらしい。すでにこの頃、自伝『紀州のドン・ファン』『紀州のドン・ファン 野望編』(ともに講談社+α文庫)を出版し、大反響を呼んでいた野崎氏の元には、多方面から女性のアプローチがあった。この電話もそうしたうちの一本の可能性があった。