貧弱な兵站で負けたアフガン紛争の「苦い過去」

 ロシアは旧ソ連時代に、ウクライナと同様に対外侵略戦争に臨むが、貧弱な補給路で撤退に追い込まれた苦い過去を持つ。

 1978~1989年のアフガン紛争で、旧ソ連が自国の勢力圏内にあると考えていたアフガニスタンでは、イスラム武装勢力が勢力を伸ばしていた。これに危機感を募らせたクレムリンは、アフガンの共産党政権の支援要請を口実に大軍を差し向け、イスラム・ゲリラとの全面戦争に挑む。

 戦車や戦闘機、攻撃ヘリなど近代兵器で勝る10万人の旧ソ連侵攻軍は、当初圧倒的な強さを見せるが、冷戦時代だったため、アメリカをはじめとする西側や、旧ソ連と敵対する中国がゲリラ側を軍事支援して対抗。旧ソ連軍は劣勢に追い込まれる。

 ゲリラの兵力は10万人程度と見られていたため、旧ソ連指導部は「攻撃側3倍の原則」に従い、派遣兵力を30万人に増強する案を検討した。

 しかしアフガニスタンは内陸国で港がなく、しかも鉄道も存在せず、専らトラック輸送に頼らざるを得なかった。しかも山岳地帯が広がりインフラ整備もままならない国情のため、首都カブールと旧ソ連とを結ぶ舗装された主要道路は、事実上1本しか存在しないありさまだった。

 道路は狭く常に渋滞の状態で、しかもゲリラは好んでトラックを攻撃し、破壊・炎上したトラックの残骸が道路脇のあちらこちらで見られたほどだ。このため兵站任務ははかどらず、現状の補給体制では10万人の兵力を支えるのがやっとで、さらなる増派は無理との結論に至った。

 結局、旧ソ連軍は最後まで「兵力不足」「兵站不足」の二重苦に悩まされ、約1万5000人の戦死者を出して1989年に撤退。しかもこれが遠因となり1991年にソ連邦本体が崩壊する。

 兵站軽視による「負け戦」を35年前に体験しているだけに、今回のウクライナでの戦いを「アフガンのデジャブでは」と指摘する向きもある。

 今年10月上旬にロシアの独立系世論調査機関レバダセンターが公表したアンケート調査では、ウクライナでの戦争が「利益」よりも「弊害」をもたらしたと感じたロシア国民は47%で、去年に比べて6ポイント増加した。一方「利益」をもたらしたと答えた人は去年より10ポイント落とし28%にとどまった。

 このアンケートからも、戦争の長期化や急増する死傷者数によって、ロシア国内でも徐々に厭戦気分が広まりつつある気配が感じ取れるだろう。

 ゼレンスキー氏にとって、このアンケート結果は朗報だが、果たしてプーチン氏はどれだけこたえているのだろうか。今年10月12日にゼレンスキー氏はビデオメッセージで、東部ドネツク州の戦況を「非常に厳しい状況だ」と訴えた。また、同月16日には友好国の支援などに依存する5項目からなる「勝利計画」も公表した。

 いずれにせよ、1カ月もしないうちにウクライナはラスプティツァの季節に入る。戦争勃発後3度目の厳寒の冬を迎え、前線の将兵に「冬将軍」が襲いかかる。11月5日の米大統選挙の結果も踏まえ、ある意味でひとつの「天王山」を迎えそうな雲行きだ。

【深川孝行(ふかがわ・たかゆき)】
昭和37(1962)年9月生まれ、東京下町生まれ、下町育ち。法政大学文学部地理学科卒業後、防衛関連雑誌編集記者を経て、ビジネス雑誌記者(運輸・物流、電機・通信、テーマパーク、エネルギー業界を担当)。副編集長を経験した後、防衛関連雑誌編集長、経済雑誌編集長などを歴任した後、フリーに。現在複数のWebマガジンで国際情勢、安全保障、軍事、エネルギー、物流関連の記事を執筆するほか、ミリタリー誌「丸」(潮書房光人新社)でも連載。2000年に日本大学生産工学部で国際法の非常勤講師。著書に『20世紀の戦争』(朝日ソノラマ/共著)、『データベース戦争の研究Ⅰ/Ⅱ』『湾岸戦争』(以上潮書房光人新社/共著)、『自衛隊のことがマンガで3時間でわかる本』(明日香出版)などがある。