不誠実な提案にはノーを突きつけなければならない

 政治家も、政党も勝手知ったる環境の変更を強く厭う。選挙や政治資金に関連するならなおさらだ。インターネット投票は筆者も慎重であるべきと考えているが、2013年の公職選挙法改正当時から批判されていた一般有権者の電子メールを使った選挙運動規制のように現在ではあまり意味がなくなっている規制の再検討も附則に記されているにもかかわらず、棚上げされているのである。

 もちろん政治家だけの責任ではない。メディアも適切に解説できていない。「報じていない」とまでは言わないが、一般的な有権者が実際の判断の材料にできるほどに噛み砕き、十分に流通するまでしつこく取り上げているだろうか。

「政治改革が重要だ」という声はよく聞くが具体的かつわかりやすい制度の解説はあまりみない。しつこく、わかりやすく、何度でも記すべきだ。

 政治とカネの問題が戦後初めての政権交代に結実した90年代の政権交代も実はその道程は決して短いものではなかった。ロッキード事件が露呈するのが1976年。前総理の現職総理時代の巨大不正として批判を集め、その一審有罪判決が1983年のこと。

 その後、1985年に衆参両院に、今年話題になった政治倫理審査会と政治倫理綱領が設けられた。そして長い時間を経て、それらは結局はガス抜き的なものに過ぎず、疑惑解明においては機能不全であることが露呈した。

 リクルート事件の発覚の発端は1988年。東京佐川急便事件の金丸信罰金刑は1992年。こうした大きな政治とカネ事件を繰り返して、1993年非自民八会派連立の誕生に結実した。当時の政治とカネの問題は昨今よりはるかに規模が大きく悪質性も高かった。だが国民の怒りを背景にしても一気呵成の解決や政権交代とはならず、これだけの時間がかかったのである。

 我々は繰り返される政治とカネの問題にただ辟易としたり、諦めたりするだけではなく、難しいが本当の改革の提案を見極め、それでも許容できない嘘や不誠実な提案に対しては、投票所で明確にノーを突きつけなければならない。

 その繰り返しこそが長い目で見たときに日本政治を鍛えると信じて。