「県大会ベスト8止まりの監督かもしれないけど、凄いことをやっている」
地味な裏方の仕事も、「自分にとって一番いやすい場所がそこだったので」と言う。最近は学校の仕事も増え、なかなかグラウンドに出られなくなっている。今後もし管理職に就いたら、野球部は退くつもりだ。グラウンドで練習を指揮する原史彦コーチや平澤佑樹コーチ、寮監を務める荒川顕人コーチに温かい視線を向けながら、「ああやって若者が育ってきたし」と笑った。
静岡に移り住んだ時には、同じアパートの2階が初鹿家で、3階が土屋家。「またいつどこで状況が変わるかわからないから、家なんて建てられない。ずっと借家だったんです」と言う。子どもたちがお互いの家を行き来することも多く、本当に一つの家族のように生活してきた。
3人の子どもがいて、2番目の長女・愉菜は野球選手。歳の近い泰聖とは一緒に学校に通い、いつもキャッチボールをしていた。中学では男子と同じチームでエースとなり、静岡県大会で女子初の完封勝利を挙げ「スーパー中学生」と話題を集めた。
現在、環太平洋大学の4年生。今年8月にカナダで開催された女子野球W杯で、日本代表に学生から唯一選出された女子野球界のホープだ。「もう本人に任せているので、この先も、やれる場所があれば続けていったらいいと思っています」と土屋は言う。そして「あとはフミさんの中学生の次男と、一緒にやれる日が来たら楽しみですね」と目を輝かせた。
泰聖は、卒業後の進路はまだ漠然としているが、父のような指導者や野球関係の仕事に就くことは今のところ考えていない。「高校で選手としては終わりにしているので、技術の指導ができないし、試合の戦術もわからないので、現実的ではないですね」と言う。
「総監督」こと父の勇は、今は身体も衰え、車イスを使っての生活になっている。記憶もだいぶ曖昧になっているが、それでも時折グラウンドを訪れ、小船が挨拶に行くと、手を取って「指が長いな。これは良いスプリットが投げられるぞ」と声を掛け、励ましていた。
知徳は秋の静岡大会、ベスト8で敗退したが、まだ1年生の187cmの大型左腕・渡辺大地投手がデビューし注目を集めた。この渡辺も、中学時代は地元の裾野シニアでは控え投手だった。入学後に体重移動を覚え、球速がアップしたという。「小船さんのように、2年後にプロに行けるようになりたい」と渡辺は言う。
文彦が若い頃、勇からよく言われた言葉がある。「釣月耕雲(月を釣り雲を耕せ)」。 鎌倉時代の禅僧、道元の漢詩で、どんなに高価な釣り竿を持ったとしても、月は釣れない。金の鍬を使ったとしても雲は耕せない。それでも無限に挑戦せよ、という意味だ。それは泰聖にも語り継がれている。
「ただ単に勝とうと思えば、あちこちから良い選手をスカウトしてくれば、ある程度結果は出ると思うんです。でも、それだけが正義かといえば、僕はそうは思いません」
「僕らの学年は最後の夏、4回戦で負けました。でも、ベンチ入りした部員のほとんどが試合に出場し、僕と控え捕手だけが残っていたのですが、最後のイニングに交代で起用され、20人全員が出場です。それでも試合の後、ベンチに入れなかった3年生に『悪かったな』と謝っていました。それが父の『人柄野球』なんだと思います」
「そうやって全員に愛情を注いでくれて、なおかつ小船みたいな選手が入ってきて、プロにも行ける。そういう今の時代に合った野球部を目指しているんだと思います。県大会ベスト8止まりの監督かもしれないけど、凄いことをやっていると思うし、それで甲子園に行ってほしいと僕らOBはみんな願っています」
『顔デカ監督のひとりごと』は卒業の時に冊子になって、3年生全員に手渡された。泰聖は大学の寮に持ち込み、何か悩んだ時にページを開くようにしているという。(終わり)
【矢崎良一(やざきりょういち)】
1966年山梨県生まれ。出版社勤務を経てフリーランスのライターに。野球を中心に数多くのスポーツノンフィクション作品を発表。細かなリサーチと“現場主義"に定評がある。著書に『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)、『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』(講談社)など。2020年8月に最新作『松坂世代、それから』(インプレス)を発表。