京都国際高校の初優勝で幕を閉じた今年の夏の甲子園。地区大会で敗れ去った中にも、注目を集めたチームがあった。その一つが静岡県の知徳高校だ。練習は校庭を他の部活動と共用。部員たちの頭髪は全員坊主頭。手にしているスマホも、2年ほど前までは持つことを禁止されていた。古臭い昭和の匂いの漂うこのチームに、人が集まってくる理由とは?(矢崎良一:フリージャーナリスト)
エースの小船翼は身長198cm、体重110kgの大型右腕で、チームメイトの松本陣内野手とともに、すでにプロ志望届を提出した。ドラフトで上位指名が有力視されている逸材だ。3年生になった春の時点でストレートの球速が152kmを計測し、評判を聞きつけた大阪桐蔭とも練習試合が組まれた。
その春の県大会では、彼を見るためにプロのスカウトたちがバックネット裏に集結した。スタンドでは、小船が1球投げるたびにファンがスマホを構え、動画撮影を繰り返す。スピードガンが150km台を表示すると「オーッ」とざわめきが起こるが、140km台だとシーンとしている。
そんな光景をベンチから見ながら、初鹿(はつしか)文彦監督は「いやいや、今の球も148kmなんだけど」と不思議な感覚になったという。
なにやら甲子園の常連校のような逸話だが、実はこの知徳、まだ甲子園出場はおろか、夏の県大会ではベスト8が最高成績の新興勢力である。それなのに、なぜこれほどの怪物投手が現れたのだろう。
小船は「入学してきた時は、ここまでになれるとは想像していなかった」と本音を漏らす。所属していた神奈川県の硬式チームでは4番手の位置づけで、中学までは特に目立った実績のない投手だった。知徳に入学したのは、同校で投手として活躍した6歳上の兄を応援するため、両親とよく応援に来ていたからにすぎない。
ところが、高校に入ってから身体もボールの威力も急成長した。
小船に限らず、知徳には兄弟で入部する選手が結構多い。保護者に聞くと、「兄が良くしてもらったから」と口にする。甲子園に出場していないチームの選手にとって、「良くする」とはどういうものなのか。小船はこんなことを話してくれた。
「兄がいたことはもちろん大きいのですが、チームカラーが明るくて、ギスギスしていないんです。そういう雰囲気が子どもの頃から見ていて好きだったし、初鹿監督からはいつも『野球だけじゃダメだぞ』と言われてきました。もし運良くプロに行けても、野球だけやって生きていけるのは長くても40歳くらいまでで、そこから先の人生のほうが長いんだ、と。監督のお父さんの代の頃から、うちの兄や、母もそうやっていろんなことを教わってきたんです」